日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【偉人の刀剣】前原一誠の刀

前原一誠の刀

明治九年の萩の乱の首領・前原一誠の差料は、井上真改の作で、刃長二尺一寸(約六三・六センチ)ぐらい、三十両ぐらいで買ったものです。 そのほかに、奥州会津藩主・松平容保から、相州秋広の刀をもらいました。それは容保の先祖・正之が、三代将軍家光より拝領の秋広であろうといいます。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】夢切り国宗

夢切り国宗

上杉謙信が永禄三年(一五六〇)上洛、さらに足を延ばして高野山にいく途中、若江(東大阪市)城主・三好氏が、池田丹後守・多羅尾常陸介・野間左吉らをして、謙信を襲わせました。武勇の謙信は備前三郎国宗、三尺一寸(約九三・九三センチ)の大刀を揮って、三好勢を追い払いました。

謙信は晩年、これを「老之杖」にしようと思っていたが、わが武勇を貴殿以外に、継いでくれる者はいないと思うので進呈する、という手紙を添えて、常陸(茨城県)の佐竹義重に贈りました。義重は当時「鬼義重」と謳われた勇将で、しかも義重より六代前の義人は、上杉家から養子に来ていました。そんな心情的なことよりも、主目的は北条や武田を背後から牽制させる目的の贈刀だったはずです。

喜んだ義重はそれからそれを差料にしていました。ある夏の夜、暑さに耐えかねて、風通しのよい城櫓の二階に寝ていました。すると、夜中に櫓の下にある池から大蛇が現れ、義重を呑もうとするので、枕元の国宗を抜いて切り払う、という夢をみました。

夢が覚めて枕元をみると、国宗は鞘から脱して、戸に立てかけた格好になっていました。それで「抜け戸夢切り」か、または単に「夢切り」という異名がつきました。

嗣子の義宣は家督をつぐと、国宗を懇望して譲りうけたが、長過ぎるとして、刃長二尺三寸三厘(約六九・八センチ)に磨り上げてしまいました。義重はそれを見て、刀の魂が脱けてしまった、と慨嘆したが、後の祭りでした。

謙信の手紙は、寛永十年(一六三三)九月二十一日、秋田城の火災によって焼失しました。それに刀は磨り上がって無銘になっているし、刃文に国宗らしからぬ所もあるので、明和四年(一七六七)、本阿弥親俊が秋田城下に出張鑑定した時、鎌倉一文字助真に極めなおし、百七十枚の折紙をつけています。

以上のように、江戸時代における秋田藩士の古記録に、この国宗川中島の合戦の際、謙信が武田信玄の弟・典既こと信繁を斬った、いわゆる「典厩割り国宗」という記述は、一切ないのに、明治二十九年刊の『秋田沿革史大成』に、突然これを典厩割国家として紹介しているが、それは誤伝です。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】Faure 正吉

Faure 正吉

東京の森岡正吉作、刃長二尺五寸八厘(約七六・〇センチ)の太刀に、表「大正八年三月吉日」、裏「大日本帝国陸軍大臣田中義一贈」と在銘です。これは大正八年、日本陸軍が飛行技術習得のため、フランスより招聘した飛行将校団長フォール大佐への贈呈刀です。最近フランスより里帰りし、厳父がその飛行将校団より訓練をうけた、漫画家・松本零士氏の手に帰しました。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】盲腸来国次

盲腸来国次

「来国次」と在銘の短刀です。もと一尺(約三〇・三センチ)以上ありました。それでは脇差の部に入り値段が安いです。一尺以下ならば短刀の部に入り値段も高くなるので、東京在住の故M刀匠に依頼、中心の靴の下を二寸(約六・〇六センチ)ほど切除して継ぎました。それで重要美術品になったが、不要のところを切除したので、「盲腸来国次」の異名がつきました。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】八幡左文字

八幡左文字

豊前中津(大分県)の城主・奥平家伝来の左文字極めの無銘刀です。

刃長二尺三寸五分(約七一・二センチ)、表裏に棒樋をかく。鞘には葵紋蒔絵がある。徳川将軍より拝領の時期は不明。刀号は山城国八幡山、つまり八幡宮のある男山の麓での作というが、もと麓にあったことの誤伝のはずである。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】雷切丸

雷切丸

立花道雪がまだ生地・豊後国大野郡藤北(大分県大野郡千歳町)にいたある夏、大木の下に席をつくり、昼寝しているところに落雷、足をやられました。差料の千鳥も焼け身になったが、雷を切ったとして以後雷切丸と改名しました。二尺(約六〇・六センチ)足らずの大脇差で、以後立花家に伝来です。

参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】白鳥の槍

白鳥の槍

下野国宇都宮(栃木県)の城主・奥平千福、のちの忠昌が八歳の少年ながら、徳川家康の外孫であるため、元和二年(一六一六)三月、家康の病気見舞に行った時、拝領した白鳥毛鞘の槍です。同家では代々持槍にしました。穂は三寸(約九センチ)の短槍で、三条宗近作、源為朝所持の伝来でした。

参考文献:日本刀大百科事典