【偉人の刀剣】吉田松陰の刀
吉田松陰の刀
幕末の志士、教育家として有名な松陰の刀です。長州藩では五十七石余の微禄ではあったが、山鹿流兵学師範という家柄だったので、刀剣類もかなりあったはずです。松陰の肖像に描かれている脇差は、鍔がなく、柄糸を巻かない腰刀の形式になっています。
萩市の松陰神社所蔵の大小は、松陰の生家・杉家から寄贈されたもので、小刀はやはり腰刀の形式になっています。中身は無銘で、大和の尻懸則長作と見えるものです。大刀は肥後同田貫正国の在銘で、肥後の志士・宮部鼎蔵と、差料を交換した事実があるので、それであろうといいます。
東京世田谷にある松陰神社所蔵の刀は、同社でご神体になっているが、短刀であるといいます。
昭和六十三年六月、萩市の松陰神社に、カナダ・バンクーバーのR・E・アウターブリッジという医師が寄贈した脇差は、神戸で生まれた同氏が昭和四年、帰国するに際し、友人の藤田菜から餞別にもらったものです。中身には越後守包貞の偽銘があるが、刀袋には「吉田松陰好持之……藤田宝」と墨書した布片が付いています。
参考文献:日本刀大百科事典