日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】太郎坊兼光

太郎坊兼光

備前長船兼光の刀の異名です。

1.奥州二本松城主・丹羽家の伝来です。初め明智光秀織田信長から拝領し、愛宕神社に奉納していたものを、豊臣秀吉が代わりの刀を納めて申し受け、愛宕山の天狗の名に因んで、太郎坊兼光と呼んでいました。一時、関白秀次の愛蔵になっていたが、秀吉の遺物として、越前福井城主・青木一矩が拝領しました。

一矩は関ヶ原の役で西軍だったので除封となり、本刀も徳川家康に召し上げられました。慶長七年(一六〇二)、関ヶ原の役の戦功を賞して、伊予松山城主・加藤嘉明に与えられました。青木一矩が嘉明に贈った、とする説は誤りです。寛永四年(一六二七)、嘉明は会津若松城丹羽長重は奥州白川城へ転封になったので、長重が嘉明のもとに扶拶にきたとき、嘉明は革面し、本刀を長重に贈りました。翌朝、嘉明はそれに気付き、返還を求めたが、長重は応じず、そのまま丹羽家の重代となりました。昭和五年、東京美術倶楽部の売立で、七八一円で落札されました。

刃長二尺三寸(約六九・七センチ)。現在、消息不明。

2.最後の武州川越城主・松平(松井)家の伝来です。この松平家は代々、周防守と称し、石州浜田城主時代、芝居にもなった鏡山事件のありました。明治維新後も同家に伝来していたが、由来については伝えるところがありません。

参考文献:日本刀大百科事典