【刀剣紹介】碇切り
碇切り
『享保名物帳』追記の部所載で、黒田如水、つまり孝高の差料とされている刀の異名です。ただし、それは誤りで、その子・長政の差料でした。文禄元年(一五九二)の役で、長政が王城の近く、全義館まで進撃したとき、河の畔に陣を構えていると、あやしい人影を認めました。長政が追っかけると、舟の碇の下に隠れました。振りおろした刀は碇の爪先もろとも、朝鮮人を斬ってすてたが、刃は少しもこぼれませんでした。それで碇切りの名をえました。それは長船祐光または祐定、永正(一五〇四)の作だった、というが、長政の子・忠之が磨りあげさせ、差料にしたため、一尺九寸五厘(約五七・七センチ)、無銘の脇差になってしまいました。
丈夫な造り込みで、表裏に棒樋をかく。板目肌ねれ、もと小乱れ、先直刃となる。今も黒田家の重宝として、同家に伝来。
参考文献:日本刀大百科事典