日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】北野江

北野江

『享保名物帳』所載の名物、郷義弘作の太刀です。本阿弥光瑳・同光益の両人が、泉州堺から買ってきたもので、同光徳が義弘ときめ、千五百貫の折紙をつけました。そして 中心に「江磨上 光徳(花押)」と金象嵌を入れました。この文字は本阿弥光悦が書いたといいます。前田利常は慶長十九年(一六一四)九月に、襲封の御礼言上のため、徳川家康のいる駿府に赴く途中、本阿弥光瑳が襲封のお祝いと称し、本刀を持って名古屋まで追っかけてきました。藩主になれて気の大きくなっていた利常は、気前よく本刀を買い あげました。後年、利常は上洛のおり、北野天満宮の神事奉行・松梅院の邸に泊っていて、近くを流れる紙屋川の畔で、本刀の試し斬りをやらせました。切れ味は上々だったので、試し場の地名をとって、北野江と呼ぶようになりました。『享保名物帳』書上げのころは、 代付けも五千貫に上がっていました。前田家では本刀を江戸の藩邸においてありました。文化九年(一八一二)三月、本阿弥長根がお手入れした記録があります。 明治天皇が明治四十三年七月九日、前田侯爵邸に臨幸されたおり、本刀を献上しました。
刃長は『享保名物帳』に二尺三寸五厘(約六九・八センチ)とあるが、前田家の記録では二尺三寸(約六九・七センチ)となっていて、現在の長さに合致する。反り六分(約一・八センチ)。地肌は板目肌が流れ、やや肌立つ。刃文は彎れ調の直刃に、小五の目交じり、 刃縁ほつれる。鋩子は小丸。物打ちより上に切り込みが四か所ある。中心は大磨り上げ、目釘孔三個。ただし刃文の焼き出しから見ると、さほど磨り上げたとは思えない。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「北野江」

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