【刀剣紹介】青屋長光
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
青屋長光
「享保名物」の刀です。泉州堺(大阪堺市)の商人青屋から、江州(滋賀県)の佐々木氏が買い求め、のちに佐久間右衛門尉信盛に贈りました。信盛はそれを主君・織田信長に献上しました。のちの関白秀次が、まだ三好笑巌の養子になっていた少年時代、これを信長から拝領しました。長じて養父秀吉に進上、秀吉はこれを上杉景勝に与えました。のち、土井利勝の有に帰したとみえ、本阿弥三郎兵衛を介して埋忠与三左に金具をつくらせました。それは献上のためだったらしく、寛永七年(一六三〇)十月十二日「若君様」へ献上しました。当時、将軍家光に若君はまだなかったため、実弟の保科正之に献上したのだと推察されます。
そのとき、三十五枚の折紙をつけたといいますが『享保名物帳』では千貫に格上げされています。そして明暦(一六五五)の大火で焼失したのか『焼失之部』に載せてあります。
刃長は『埋忠押形』では二尺三分(約六一・五センチ)で『享保名物帳』では二尺四寸(約七二・七センチ)に伸びてます。しかし『埋忠押形』と『享保名物帳』を比較してみると、前者に目釘孔が一個増えてはいますが、磨り上げた形跡はありません。中心の長さから推測して二尺四寸のほうが真実でしょう。
刃文は丁子乱れ華やかで、鋩子は乱れこみ、尖ってわずかに返る。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「青屋長光」