日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】貼付け銘国宗

貼付け銘国宗 「国宗」と二字在銘です。刃長二尺四寸二厘(約七二・八センチ)、旧国宝、現重文です。東京在住の故M刀匠が、私が作った偽物で、国宝になった二本のうちの一本、と生前告白していたものです。これは銘のある側の中心の大部分を剥ぎ取り、他の健…

【刀剣紹介】桑刀

桑刀 桑の葉を切る包丁です。水戸藩工・勝村正勝が、明治二年九月、皇室の御養蚕所主任・福田彦四郎の注文で造ったのは、長さ約一尺(約三〇・三センチ)、幅約四寸五分(約一三・六センチ)と、長さ約八寸(約二四・二センチ)、幅約四寸(約三・一センチ)の二種で…

【刀剣紹介】亀齢丸

亀齢丸 刀の異名です。差し表に「摂州大坂住三品大和守吉道」、裏に「延宝四年二月日於武州江戸作之」、と在銘の刀の箱書の表に、正三位千種有功の筆で「亀齢丸」、裏に「鶴亀の長き齢ひのことほぎも うれしめでたし比身吉道」と書きます。吉道の作に長銘は…

【刀剣紹介】朽木正宗

朽木正宗 大和国郡山城主・柳沢家伝来、刃長一尺一寸六分(約三五・二センチ)、無銘、相州正宗極めの脇差です。異名は丹波国福知山(京都府)城主・朽木家旧蔵だったのでしょう。大正十三年同家の売立で、二百六十円で落札されました。 参考文献:日本刀大百科…

【刀剣紹介】三本寺吉光

三本寺吉光 上杉景勝の邸に文禄三年(一五九四)十月二十八日、豊臣秀吉を招いたとき、拝領した脇差です。刃長一尺九分(約三三・〇センチ)、景勝三十五腰の一です。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】童丸

童丸 源氏嫡流代々相伝の三剣の一です。髭切・友切りと童丸は、源氏が三代で絶えると、頼朝の妻・政子はこれら三剣を、足利義氏に譲りました。義氏はこれを三河国西尾(愛知県西尾市)の城の本丸に祀り、国を乱し万民を悩まし、不忠の働きする者は、これに触れ…

【刀剣紹介】延慶光包

延慶光包 表「光包」、裏「延慶二年二月日」と在銘、刃長九寸七分四厘(約二九・五センチ)、旧国宝、現重文です。天明六年(一七八六)拓の押形、『首斬り浅右衛門刀剣押形』『新刀古刀大鑑』などに所載されてます。ただし、『角野押形』所載の同年作の銘と相違…

【刀剣紹介】桶丸写し

桶丸写し 播州(兵庫県)赤松家重宝・桶丸の模作です。筑後(福岡県)久留米城主・有馬家は、赤松則村の子孫といい、粟田口国綱作の桶丸が伝来していました。 差し表に「元禄三庚午八月吉日 平安城助房」、裏に「桶丸行平作 於武江写之」と在銘、差し表に幡鉾と…

【刀剣紹介】鹿沼来

鹿沼来 秋田城主・佐竹家伝来、京の来派の作です。ただし、個名は不明です。天正十八年(一五九〇)の小田原落城の際、鹿沼城(栃木県)の留守を守っていた鹿沼太郎は寄手の佐竹義重に降伏、この刀を贈ったものらしいです。鹿沼太郎は大力の勇士だったので上杉家…

【刀剣紹介】鷲切り

鷲切り 備前長船兼光の刀号です。享保(一七一六)のころ、加賀藩の馬廻り頭・丹羽武兵衛孝房が、加州石川郡湯浦(石川県金沢市)の温泉に入湯中、薬師堂の上の山に佩刀をおいて、さらに絶壁をよじ登りました。程経て薬師堂の上に戻ってみると、佩刀がありません…

【刀剣紹介】鷲造りの太刀

鷲造りの太刀 源義経が屋島の合戦のとき、大胡小橋太に与えた太刀です。これについては、金具や鞘の蒔絵に、鷺の図のあるもの、という説と、柄頭の金具が鷲の頭の形になったもの、という説とがあります。前説では、太刀の何々造りというのは、すべて文様から…

【刀剣紹介】鷲の巣

鷲の巣 相州行光作の短刀の異名です。文禄元年(一五九二)四月十一日、肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)へ下向の途中、芸州広島(広島県広島市)へ立ちよった豊臣秀吉は、これと備前光忠の刀を、毛利秀元に与えました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】鷲の子

鷲の子 奥州南部家の支族・九戸政実の佩刀です。政実が天正十九年(一五九一)、入って宗家を継いだ田子信直に対し、叛旗を翻したとき、鷲の子という三尺五寸(約一〇六センチ)、 黒漆の太刀を佩いていました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】亘理来国光

亘理来国光 もと奥州伊達家の重臣・亘理兵庫頭入道安斎の遺物として、伊達家に献上したものです。伊達政宗が登城のときの差料です。六代目の宗村もこれを愛好しました。 刃長二尺四寸一分五厘(約七三・二センチ)、延宝九年(一六八一)卯月三日付の代千五百貫…

【刀剣紹介】若楓

若楓 陶晴賢の愛刀で、刃長一尺五寸(約四五・五センチ)、薩摩の波平の作です。天文二十年(一五五一)、晴賢が主君・大内義隆を殺してから間もないある夜、青景越後守邸における花見で、煎海鼠酒(煮乾しの海鼠を入れた酒)をしたたか飲んで、明け方に帰館し、寝…

【刀剣紹介】若江十河正宗

若江十河正宗 『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。河内国若江(大阪府東大阪市)から出たから、あるいは織田信長のとき、若江三人衆とよばれた、池田丹波守・多羅尾常陸介・野間左膳ら三人のうちの誰かの所持だったので、若江正宗とよびます…

【刀剣紹介】若江貞宗

若江貞宗 平造りの脇差です。 二筋樋をかく。刃文は五の目乱れ。鋩子は乱れ込んで焼き詰め。中心は区送り、目釘孔なし。中心尻は剣形。無銘。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】分部志津

分部志津 『享保名物帳』所載、志津兼氏極めの刀です。もと伊勢国奄芸郡上野(三重県津市)の城主・分部光嘉所持でした。光嘉は関ヶ原の役で、富田信高の津城に立てこもったが、西軍の来襲に敗れ、高野山にのがれました。しかし、東軍に加担した点を買われ、所…

【刀剣紹介】脇屋郷

脇屋郷 『享保名剣集』所載、越中郷義弘極めの刀です。もと脇屋右近所持、大坂落城後、本阿弥光徳が徳川家康に納めました。将軍家光はこれを慶安三年(一六五〇)、松平四郎五郎へ与えました。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)。表裏に樋をかく。佩き表の…

【刀剣紹介】若緑

若緑 奥州住千寿作の太刀です。源為朝が久安六年(一一五〇)、十三歳のとき父の勘気にふれ、九州に追われたとき、この太刀を父為義よりもらいました。久寿二年(一一五五)、京都に帰るとき、三男の鶴王丸基朝に与えました。基朝の七代の孫・大友公朝は、応永五…

【刀剣紹介】瑠璃柄剣

瑠璃柄剣 瑠璃を柄に嵌め込んだ太刀です。瑠理柄剣とも、大臣級の高官の飾太刀に見られるもので、騎馬のときは佩かないことになっていました。損傷するのを恐れたからです。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】るの青江

るの青江 紀州藩主・徳川光貞の弟・豊後守頼路が、貞享二年(一六八五)、無卦に入った時、厄払いとして光貞より贈られた、備中青江の太刀の異名です。無卦とは陰陽道において、それより五年間は凶事が多いという不吉の年のことです。 参考文献:日本刀大百科…

【刀剣紹介】令剣盛光

令剣盛光 備前長船盛光作、播州(兵庫県)の赤松家の打ち太刀の号です。 刃長三尺四分(約九二・一センチ)、鎺より二寸二~三分(約六・七~七・三センチ)上に、表裏とも梵字を彫り、それより上には樋をかく。うぶ中心で、「盛光」と二字銘。 参考文献:日本刀大…

【刀剣紹介】露弾丸

露弾丸 堀井胤明作の両刀の短刀の異名です。明治三十八年五月、日本海海戦のさい、軍艦日進の主砲塔に命中した敵弾の破片をもって、同艦に乗っていた麓々園氏が、同四十五年五月、胤明に打たせたものです。差し表に「揚武」の二字を彫ります。 参考文献:日…

【刀剣紹介】若狭貞宗

若狭貞宗 江戸初期、薩摩の島津家にあった相州貞宗作、一尺(約三〇・三センチ)ばかりの脇差です。由来は不明であるが、慶長十五年(一六一〇)八月、島津家久が琉球王・尚寧を伴い、徳川家康に謁したとき、相州貞宗の大小を与えています。おそらくその小刀のほ…

【刀剣紹介】竜太刀

竜太刀 遣明船で輸出された太刀のうち、最上のものです。応仁二年(一四六八)の時は二振りで、刀身は信国の作で、原価は一振り三貫文、柄や鞘は藤左衛門の作でした。藤左衛門は「摂津守方 中間」、とあるから、細川勝元お抱えの鞘師だったことになります。鞘…

【刀剣紹介】竜丸

竜丸 髭切・友切とともに、源氏相伝の宝刀です。竜の目貫がついていることからの名称です。源実朝が承久元年(一二一九)殺され、源氏の嫡流が絶えたので、尼将軍・政子は竜丸を、源氏の分流である吉良義氏に与えました。義氏はのち三河国西尾(愛知県西尾市)に…

【刀剣紹介】竜谷剣

竜谷剣 親鸞所持と伝承の短刀です。 刃長四寸九分(約一四・八センチ)、無銘。武州豊島郡下駒込(東京都豊島区駒込)の官七家に伝来。そのほか京都の大本山・仏光寺に親鸞の太刀と称するものが伝来。享保十一年(一七二六)、展示したことがある。 参考文献:日本…

【刀剣紹介】竜造寺国次

竜造寺国次 肥前佐賀城主・竜造寺隆信の佩刀です。相州国次の作です。天正十二年(一五八四)三月十八日、薩州島津の家臣・川上忠堅が槍で隆信を突き倒すと、従卒が駆けよって首を切り落としました。その功によって、隆信の甲冑と太刀は忠堅に与えられ、子孫の…

【刀剣紹介】流星刀

流星刀 榎本武揚が明治三十一年、富山県中新川郡上市町に落ちた鉄隕石をもって、江戸の刀エ・国吉に命じて造らせた短刀です。板目肌がきれいに出ているが、玉鋼を三割ほど混ぜたものです。 参考文献:日本刀大百科事典