日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

短刀

【刀剣紹介】紀伊国片桐正宗

紀伊国片桐正宗 『享保名物帳』焼失の部に収載された相州正宗作の短刀です。単に紀伊正宗・片桐正宗ともいいます。紀州和歌山城主・浅野長政の家臣所持でした。それを長政が召しあげ、埋忠寿斎に金具を作らせ、徳川家康に献上しました。家康はそれを大坂方の…

【刀剣紹介】上部・桑山当麻

上部・桑山当麻 『享保名物帳』所載の短刀です。もと江州大津にあったものを、大和で二万六千三百八十石を領していた桑山伊賀守元晴が求めました。桑山家は嗣子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世のため、封地を没収されたので、これも手放さざるを得なかったの…

【刀剣紹介】大森藤四郎

大森藤四郎 『享保名物帳』焼失之部所載の短刀です。もと京都の商人・大森宗屋所持でした。宗屋は江戸初頭、尺八の名人として知られた大森宗勲の一族でしょう。大坂の役の功を賞してであろう、徳川家康から福島正則が、長義の刀とともに拝領しました。正則が…

【刀剣紹介】足利飯塚藤四郎

足利飯塚藤四郎 『享保名物帳』焼失之部に記載されています。駿河大納言忠長の家来に、飯塚半次郎忠重という者がいました。それがこの短刀を愛蔵していて、いつも枕の下に入れていました。本刀を忠長が召し上げて、寛永二年(一六二五)二月五日、前将軍秀忠が…

【刀剣紹介】長銘貞宗

長銘貞宗 1.『享保名物帳』所載、相州貞宗作の短刀です。徳川将軍家の蔵刀で、寛永七年(一六三〇)に金二百枚の折紙がつきました。同十五年(一六三八)正月十一日、拵えをつけるため、本阿弥三郎兵衛が埋忠家に持参、埋忠与三左衛門が金具を作りました。なお、…

【刀剣紹介】堺志津

堺志津 『享保名物帳』所載、濃州住志津三郎兼氏作の短刀です。堺から出たため「堺志津」と命名されました。徳川家に入った由来について伝承のないのは、徳川家康が堺から買ったものだからでしょう。正保四年(一六四七)十一月二十七日、徳松(後の五代将軍綱…

【刀剣紹介】佐藤行光

佐藤行光 『享保名物帳』所載、無銘相州行光極めの短刀です。もと佐藤勘右衛門堅忠所持でした。堅忠は初め豊臣秀吉、のち徳川家康に仕え知行千石です。慶長十七年(一六一二)没、 六十五歳でした。本刀は本阿弥が相州行光と鑑定、金百枚の折紙をつけたので、…

【刀剣紹介】楠左文字

楠左文字 『享保名物帳』所載の短刀です。もと織田信長の祐筆頭・楠長庵所持というが、長庵は長諳の誤りです。長諳は楠正儀九代の孫と称し、諱は正虎、式部卿法印と号しました。豊臣秀吉の祐筆も勤めました。長諳から尾張の徳川義直へ渡り、義直は本刀を井上…

【刀剣紹介】後藤行光

後藤行光 『享保名物帳』所載、相州行光の短刀です。もと金座・後藤庄右衛門広世所持でした。本刀を加藤左馬助嘉明が入手しました。宝永元年(一七〇四)の折紙は三千貫でした。以後、嘉明の嫡孫である江州水口藩主の加藤家に伝来しました。大正十四年、同家の…

【刀剣紹介】伏見貞宗

伏見貞宗 相州貞宗作の短刀です。『享保名物帳』所載、ただし原本にはなく、後人の追記したもので、「由緒・寸尺・代付未詳」とあります。江州水口城主・加藤家伝来です。大正十四年十月、同家の売立に出品されたが、親引きになりました。のち同家を出て、昭…

【刀剣紹介】吉田兼光

吉田兼光 『享保名物帳』所載、備前長船兼光作の短刀です。池田輝政は天正十八年(一五九〇)から、慶長五年(一六〇〇)まで、三州吉田(愛知県豊橋)の城主でした。そのころから所持していたので、「吉田兼光」の名を得ました。本刀を三男で、まだ少年だった忠雄…

【刀剣紹介】日置豊前安吉

日置豊前安吉 『享保名物帳』所載の筑前の左安吉作の短刀です。備前岡山城主・池田光政の家老、日置豊前守忠俊所持でした。よって日置豊前安吉・豊前安吉ともいいます。日置家を出た理由は不明ですが、あるいは、池田家が寛永九年(一六三二)、岡山へ移封の…

【刀剣紹介】奈良屋貞宗

奈良屋貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗作の短刀です。もと泉州堺の商人・奈良屋宗悦所持でした。文禄(一五九二)のころ、黄門秀俊が五百貫で購入しました。黄門とは中納言のことで、当時、中納言秀俊と称したものに、豊臣秀保と小早川秀秋とがあります。…

【刀剣紹介】乱れ光包

乱れ光包 『享保名物帳』所載です。ただし、原本にはなく、本阿弥長根が幕末に追記したものです。中堂来光包作の短刀です。もと前田家の重臣(五万石)・本多安房守政重所持、藩主・前田利常に献上されました。将軍綱吉の養女・松姫が、前田家の世子・吉徳に…

【刀剣紹介】宗喜貞宗

宗喜貞宗 『享保名物帳』所載、相州貞宗の短刀です。もと石田三成の茶道頭・宗喜の所持でした。ただし宗祇とも書きます。寛永十九年(一六四二)十一月十四日、将軍家光が、近く水戸へ帰国する徳川頼房を城中に招き、饗応したさい、頼房に贈りました。本阿弥…

【刀剣紹介】戸川来国次

戸川来国次 『享保名物帳』焼失之部所載、来国次作の短刀です。もと備前庭瀬城主・戸川肥後守逵安所持し、将軍秀忠へ献上した 、ともいいますが、寛永六年(一六二九)四月二十九日、加賀の前田利常の別邸に、前将軍秀忠が来たとき、利常が献上しているとこ…

【刀剣紹介】戸川志津

戸川志津 『享保名物帳』所載、濃州志津兼氏極めの短刀です。もと戸川肥後守逵安所持でした。逵安は初め宇喜多秀家に仕え、備前常山城主でしたが、慶長四年(一五九九)、老臣と結んで秀家に反抗したので、徳川家康の裁判で追放となりました。翌五年(一六〇…

【刀剣紹介】桑山光包

桑山光包 『享保名物帳』所載の中堂来光包の短刀です。もと江州大津の住人が所持していました。それを大和で二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴が、千五百貫で買い上げました。元晴の子・貞晴は寛永六年(一六二九)早世しました。嗣子がなかったので知…

【刀剣紹介】桑山保昌

桑山保昌 『享保名物帳』所載の大和国保昌貞吉の短刀です。もと大和で二万六千余石を領していた桑山伊賀守元晴の所蔵です。同家はその子・貞晴が寛永六年(一六二九)早世し、嗣子がなかったため知行を没収されました。それでこれを売りに出したと見え、金沢…

【刀剣紹介】村雲当麻

村雲当麻 『享保名物帳』所載、大和の当麻極めの短力です。もと関白秀次の母の守り刀です。秀次の菩提を弔うため、文禄五年(一五九六)に、瑞竜寺を今の京都市上京区堅門前町に建てました。この付近を村雲というため、俗に村雲御所と呼ばれました。出家して…

【刀剣紹介】源来国次

源来国次 『享保名物帳』所載、京の来国次作の短刀です。もと相州小田原城主・北条氏綱の差料で「蜘手切り」と呼ばれていました。蜘手は蜘蛛の宛て字で、クモのことです。初め高野山の三宝院にあり、のち同じく南谷の林蔵院の什物(代々伝わる宝物のこと)に…

【刀剣紹介】鳥養来国次

鳥養来国次 『享保名物帳』所載の来国次の短刀です。もと鳥飼宗慶が所持していました。宗慶は摂津国島下郡鳥飼、現在の大阪府茨木市鳥飼の出身で、通称は次郎右衛門、号は松庵・ 隣松斎です。宗慶は入道名です。書道の大家で、御家流より出て、鳥飼流を興し…

【刀剣紹介】塩川来国光

塩川来国光 『享保名物帳』所載、京の来国光の短刀です。もと江州佐和山城主・石田三成の臣・塩川志摩か、播州明石城主・塩川信濃守かの所持といいます。埋忠家で金無拓の二重はばきを作りました。現在もそれがついていて、上貝に「うめたゝ 寿斎 彦一入」と…

【刀剣紹介】長谷川江

長谷川江 『享保名物帳』所載、越中郷義弘作の短刀です。もと織田信長の一族・竹丸の父所持といいます。竹丸が竹千代信氏と同人でしたら、その父は信時、その母は信長の妹です。江州大津の城主・京極高次は、妹の松丸殿が豊臣秀吉の側室でした関係で、同じく…

【刀剣紹介】宗瑞正宗

宗瑞正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。もと織田信長の一族・小田井織田家に伝来しました。小田井大学が豊臣秀頼の小姓だった関係で豊臣家に献上しました。本阿弥光徳が相州行光と鑑定し「をたい行光」と鞘書きしました。「をたい」は小田井で…

【刀剣紹介】鍋島藤四郎

鍋島藤四郎 『享保名物帳』所載、粟田口吉光作の短刀です。初め、肥前佐賀城主・鍋島直茂が所持していました。その子・信濃守勝茂のとき、埋忠家で採った粟田口吉光の短刀の押形に「なべしなの殿」と注記したものがあります。ただし、これは鍋島藤四郎ではあ…

【刀剣紹介】清水藤四郎

清水藤四郎 『享保名物帳』所載、粟田口吉光の短刀です。本刀の出所について『名物帳』には「安芸国しみずより出る」または「芸州清水より出ル」とありますが、芸州に清水という著名な地名はありません。清水家のことでしょう。芸州藩の清水家は天正十年(一…

【刀剣紹介】増田藤四郎

増田藤四郎 『享保名物帳』所載、粟田口吉光の短刀です。もと京都の八幡にいる鶉の愛好家が持っていました。その知人が飼っている優秀な鶉と短刀を交換しました。知人の親類に増田宗善という商人がいて、金二十枚で譲りうけました。それを越前北庄城主・松平…

【刀剣紹介】結城来国俊

結城来国俊 『享保名物帳』所載、来国俊作の短刀です。もと下総の結城家伝来です。徳川家康の次 男・秀康が、天正十八年(一五九〇)に、結城晴朝の養子となり、この短刀を継承しました。秀康が慶長十二年(一六〇七)に没すると、長男の松平忠直が継承しました…

【刀剣紹介】堀尾正宗

堀尾正宗 『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。もと芸州広島城主・福島正則が所持していました。正則は慶長十六年(一六一一)二月、埋忠寿斎に金具を作らせ、拵えをつけてすぐ、遠州浜松城主・堀尾吉晴に金百三十枚で売りました。吉晴が慶長五年(…