日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

太刀

【刀剣紹介】日月護身剣

日月護身剣 天皇の宝剣の名です。三種の神器につぐ重器とされていた大刀契のうち、三公闘戦剣と並んで重視された御剣です。百済から神功皇后に貢献したもの、と伝えられるもので、後の昼御座剣にあたります。 刃長二尺二寸(約六四・二センチ)、左側 に日・南…

【刀剣紹介】友切丸

友切丸 名剣の名です。 1.源氏の重宝・髭切りの異名。 2.古剣書の所説 三条宗近の作という。 3.江戸城紅葉山宝蔵の刀 刃長二尺三寸(約六九・七センチ)、金拵え付き、源頼朝の佩刀という伝来になっていた。 4.戯曲の友切丸 曽我狂言は人気があったので、多く…

【刀剣紹介】手鋒の太刀

手鋒の太刀 豊後の豪族・緒方家重代の太刀です。不抜の太刀の前名です。手鋒というのは、切先のほうが両刃になっていたからでしょう。緒方家の先祖・惟基が承和七年(八四〇)庚申の日、禁衛に当たりながら昼寝をしている隙に、雅楽助という公家が、惟基の太刀…

【刀剣紹介】妻の大太刀

妻の大太刀 宮崎県西都市妻町の都万神社の社宝です。総長八尺一寸二分(約二・四六メートル)。宝徳二年(一四五〇)、妻町の近くの鹿野田住人・日下部成家が、備前則次らに鍛えさせ、都万神社に奉納したものです。銘に「謹奉献上妻万大明神君新之作大刀一振 始…

【刀剣紹介】壺切剣

壺切剣 皇太子相伝の宝剣です。古くは壺斬剣と書きます。もと贈太政大臣・藤原長良所持でした。漢の張良の剣という説明は、長良を音読みして、張良と勘違いしたものです。当時すでに有名だったので、文徳天皇がそれを取りよせ、陰陽師に厭法つまりお祓いを命…

【刀剣紹介】天光丸

天光丸 古名刀の号です。 1.備前三郎国宗作の太刀です。テンクワウ丸ともいいます。 2.河内国古市郡駒ヶ谷(大阪府羽曳野市)の壺井八幡宮蔵です。アマミツマルともよみます。伯耆安綱作、鬼切丸と同じ鉄で造ったものともいいます。多田満仲、その子頼信・源義…

【刀剣紹介】釣り金切り

釣り金切り 蔀を釣り上げている部金を切ったことによる刀の号です。 1.大和の千手院金王の作。 奈良の興福寺の門跡所蔵です。興福寺の僧がある神社へ参籠のとき、この太刀を抜いて出たところ、蔀の釣り金に当たり、それを切って落としたといいます。 2.来国…

【刀剣紹介】綱切丸

綱切丸 1.信州の諏訪神社蔵です。 刃長二尺三寸六分(約七一・五センチ)、無銘。古風の太刀拵え付き。 寿永三年(一一八四)正月、佐々木高綱が宇治川の先陣のさい、河中の綱を切った、という伝説の刀です。昭和三十五年六月一日夜、山田満喜男が油小路忠吉の太…

【刀剣紹介】綱切り

綱切り 太刀の異名です。 1.『享保名物帳』焼失之部所載、筑紫正恒作の太刀です。佐々木高綱が寿永三年(一一八四)正月二十日、宇治川先陣のさい、河中に張った綱を切ったという太刀です。縄切りとも書きます。その後、桜田十郎が所持しました。明徳三年(一三…

【刀剣紹介】槌食い彦四郎

槌食い彦四郎 相州貞宗の大太刀の異名です。但馬国の長という豪族が、貞宗を但馬によんで、四尺三寸(約一三〇・三センチ)の大太刀を打たせました。室町期になって、将軍義教がそれを所望したが、家重代といって提出しませんでした。あまりに催促が激しいので…

【刀剣紹介】秩父高平

秩父高平 武州秩父の庄司・畠山重忠の太刀です。 長さについては、三尺八寸説(一一五・一四センチ)と四尺八寸説(約一四五・四四センチ)のとがある。重忠が治承四年(一一八〇)、富士川の戦で、加治次家の兜を真向うから切り割った、という伝説のある刀。ただ…

【刀剣紹介】鷹の羽青江

鷹の羽青江 上州沼田城主・土岐家蔵の備中青江貞次の太刀です。 刃文は丁子乱れで、逆がかった所もある。中心に、差し表「南無八幡大菩薩(丸に違い鷹の羽の紋)」、裏に「(丸に三の字の紋)貞次摩上 号辰丸」、と大きく切りつける。 丸に三の字の紋は、尾州の…

【刀剣紹介】玉纏横刀

玉纏横刀 伊勢神宮の神宝として、二十年毎の遷宮式のとき、朝廷より進献することになっている太刀です。玉纏太刀ともいいます。 刀身は直刀、切刃造り。外装は、柄の長さ七寸(約二一・二センチ)、柄頭の冑金には、露緒を通す仆鐶がつき、露緒の先には金の鮒…

【刀剣紹介】鷹匠切り

鷹匠切り 来国俊作、三尺一寸(約九三・九三センチ)の太刀です。足利将軍義教が鷹匠を、それで唐竹割りにしたが、体がしばしそのままで、手にした鷹も驚く様子がありませんでした。それで「鷹匠切り」と命名しました。その後、長州の大内持世が拝領し、家宝に…

【刀剣紹介】雑作横刀

雑作横刀 伊勢神宮の内宮の本宮の宝刀です。クサグサノタチとよみます。二十年ごとの遷宮のさい、玉纏横刀一柄・須加流横刀一柄とともに、雑作横刀二十柄が新調されます。 この様式は『延喜式』によれば、柄は桜の木で、長さ六寸五分(約一九・七センチ)、鞘…

【刀剣紹介】善鬼国綱

善鬼国綱 『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口国綱の太刀です。 刃長二尺五寸五分(約七七・三センチ)。ただし二尺一寸八分(約六六・二センチ)とする異説もある。 聖護院門跡が大和の大峰山入りするとき、お伴をする善鬼とよばれる山伏が、これを佩用すること…

【刀剣紹介】千貫国光

千貫国光 『本阿弥光悦押形』所載、来国光の在銘刀です。異名は昔、千貫の値段がついたことからの命名です。ただし、これには同名異物があります。 1.『継平押形』(昭和三年刊)に併掲されている『本阿弥光悦押形』に出ている押形では、目釘孔が四個あり、刀…

【刀剣紹介】関ヶ原陣刀

関ヶ原陣刀 肥後熊本城主・細川忠興入道三斎が、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦に佩いた半太刀拵えの大小です。 大は備前の長船春光、刃長二尺二寸(約六六・七センチ)、小は無銘で、平安城則光の鑑定、刃長一尺六寸九分五厘(約五一・四センチ)、大の柄は頭…

【刀剣紹介】鈴浪国綱

鈴浪国綱 公家の三条家伝来の太刀の異名です。粟田口国綱の作品です。腰刃が鈴浪、つまり急に高くなって、寄せてくる波に、似ているところからの命名でしょう。三条公頼が天文二十年(一五五一)、周防の大内義隆邸で、陶晴賢の乱に巻きこまれ、殺されたので、…

【刀剣紹介】新髭切り

新髭切り 1.芸州の厳島神社蔵刀、吉川元長寄進です。 刃長二尺三寸六分(約七一・五センチ)、刃文直刃小乱れまじり。「包次」と二字銘。打ち刀拵え付き。ただし、柄は黒塗りの出し鮫。鞘は錦包み黒塗り。由来は不明。 2.奥州の舞草行重の太刀、源氏の重宝です…

【刀剣紹介】実休光忠

実休光忠 『享保名物帳』燒失之部所載、三好之康入道実休所持、備前光忠の太刀です。もと江州甲賀郡三雲城主・三雲对馬守定持所持でした。のち愛刀家の三好義賢入道実休が入手、同家では三雲光忠と呼んでいました。実休が永禄三年(一五六〇)三月五日、泉州南…

【刀剣紹介】水神切り兼光

水神切り兼光 上杉家伝来、備前長船兼光の太刀です。水神を切った、という伝説の詳細は不明です。 刃長二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)、平造り、丸棟という珍品。佩き表に梵字、裏に三鈷柄の剣の彫物。小板目肌に映りが出る。刃文は中直刃に小乱れ交じり。…

【刀剣紹介】注連丸行平

注連丸行平 『享保名物帳』焼失之部所載、豊後行平の太刀です。 刃長二尺七寸三分五厘(約八二・九センチ)。刀号は、もと神前に注連縄のように、横に懸けてあったことによる。甲府宰相綱重所持、綱重は江戸城中にいたので、明暦三年(一六五七) の江戸城炎上の…

【刀剣紹介】三所権現長光

三所権現長光 銘に「熊野三所権現 長光」とある備前長船長光の太刀です。 刃長二尺四寸八分(約七五・二センチ)、地鉄小板目に映り鮮やか。刃文は丁子乱れ。鋩子小丸。切先より六寸(約一八・二センチ)ほど下の棟に、切り込みがある。もと熊野別当の子孫・九鬼…

【刀剣紹介】篠造り

篠造り 1.足利家重代、備前一文字則宗の太刀の異名です。小竹造り、小竹切り、篠丸ともいいます。ほかに二つ銘という別称のあるのは、「備前国則宗」という銘の「備前」が朽ち、「則」のように見えるので、「則国則宗」つまり則国と則宗の合作と誤読したため…

【刀剣紹介】笹貫きの太刀

笹貫きの太刀 薩摩の樺山家伝来、波平行安作の太刀です。現在は国有、重要文化財です。応永(一三九四)ごろの波平行安が妻に、鍛治場を決して覗いてはならぬ、と厳命しておいたのに、妻が覗いたのを怒り、仕上げ中の刀を裏の竹藪に投げ棄てました。そこから夜…

【刀剣紹介】笹切り

笹切り 1.奥州最上家重代、相州貞宗の太刀の異名です。笹刀ともいいます。山形城主・最上義守が十六歳で、橋下(上山市)の戦に初陣したとき、賞として父より譲られました。その子義光も十六歳で、永禄四年(一五六一)四月四日の夜、高湯温泉(山形市)に父ととも…

【刀剣紹介】小駒切り

小駒切り 鍋島勝茂所特、郷義弘の太刀です。勝茂が天正十七年(一五八九)十歳で、肥前国神埼郡城原の勢福寺城主・江上家種の養子になったとき、婿引き出として江上家重代のこの太刀を、勝茂に与えました。勝茂は慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の役のとき、初めは…

【刀剣紹介】御鬢所行平

御鬢所行平 『享保名物帳』焼失之部所載、豊後行平の太刀です。豊臣秀吉が理髪や着換えをした御鬢所に、備えつけの太刀です。ただし『豊臣家御腰物帳』には、二之箱に収納とあります。大坂落城のさい焼失しました。ただし『本弥光徳刀絵図』に押形所載されて…

【刀剣紹介】小林国行

小林国行 小林上野守の佩刀、来国行の作です。明徳二年(一三九一)十二月三十日、京都の内野の合戦で、小林上野守(修理亮重長)は、これで、大内左京大夫義弘の左手を二か所斬ったが、逆に薙刀を内かぶとに突っ込まれ、さらに片股斬り落とされ討死にしました。…