日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

太刀

【刀剣紹介】翠丸

翠丸 備前兼光作の太刀の異名です。越後国三島郡長峰山(新潟県長岡市長峰町)の城主・新田氏の一族に伝来したものが、同郡富岡村(長岡市富岡町)の遠藤孫兵衛の祖先の手に渡りました。それを宝暦十二年(一七六二)、長岡藩主の牧野家が金百両で召し上げ、褒美と…

【刀剣紹介】蓑丸兼光

蓑丸兼光 征西将軍・懐良親王の佩刀、という伝説の太刀です。九州の旧家に伝来していた時分は、蓑に包んで家の棟木にくくり付けてあった、というので、蓑丸の号がつけられました。古い山金の太刀拵え付きです。 刃長二尺八寸(約八四・九センチ)くらい、刃文…

【刀剣紹介】微塵丸

微塵丸 曽我十郎祐成が仇討ちのときの佩刀です。建久四年(一一九三)五月、暇乞いのため箱根権現の別当、行実を訪ねたとき、行実が餞別として十郎に贈ったものです。十郎の討死後、源頼朝はこれを箱根権現に、再び寄進したものといい、刃長三尺三寸(約一〇〇…

【刀剣紹介】三日月一文字

三日月一文字 備前一文字の太刀です。寛正四年(一四六三)三月、細川成之らの軍勢が、将軍義政に追われた畠山義就の立てこもった、河内国錦部郡(大阪府南河内郡)の嶽山城を攻め落とした時、将軍義政は賞として、これを成之に与えました。成之はのちこれを将軍…

【刀剣紹介】松倉江

松倉江 越中国松倉住郷義弘作の刀の異名、と見られる場合もあるが、本来は松倉住人郷ノ義弘という意味です。江と郷とを通じ用いります。松倉郷と書けば、越中国新川郡の地名のようであるが、松倉という郷はありませんでした。織田信長は永禄三年(一五六〇)、…

【刀剣紹介】松川兼氏

松川兼氏 美濃 (岐阜県)の志津三郎兼氏作、二尺三寸一分(約七〇・〇センチ)強の太刀の異名です。上杉家の重臣で、能州(石川県)七尾城主・松川大隅守家伝来しました。 豪壮な剣形で、板目肌に地沸えつき、沸え出来の彎れ乱れ刃を焼く。中心は目釘孔二個、中心…

【刀剣紹介】松浦国行

松浦国行 駿河御分物として、尾州徳川家へ分与された太刀です。加藤清正が徳川家康に献上したものです。拵え付き、金二十五枚の折紙つきます。国行は来派か当麻派か不明です。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】骨喰み

骨喰み 古名刀の異名です。骨食・骨塚・骨喰丸・骨噛みとも書きます。骨喰みの語源については、戯れに切るまねをしても、相手の骨が砕けてしまうからとも、相手が骨にしみるように感じるからとも、刀で切られると、骨を縫い綴ったように痛みを訴えるからとも…

【刀剣紹介】星切りの太刀

星切りの太刀 織田信長の愛刀の名です。もと曽我五郎時致所持といわれるもので、信長は金銀をちりばめた太刀拵えをつけていました。天正三年(一五七五)十一月二十八日、長男の信忠に家督を譲ったとき、この太刀も信忠に与えました。しかし、信忠が本能寺の変…

【刀剣紹介】宝寿丸

宝寿丸 奥州の宝寿作の太刀です。明治四十四年国宝、戦後、重要文化財指定されました。東京都青梅市御嶽山の御嶽神社蔵です。畠山重忠奉納との伝説、または重忠自筆の願文付きともいうが、ともに誤りです。宝寿は初代でも、鎌倉末期に過ぎないからです。本刀…

【刀剣紹介】疱瘡切丸

疱瘡切丸 奥平家昌が天正十九年(一五九一)十二月、元服の時、徳川家康より拝領、「備前国長船住守家造」と在銘、刃長二尺五寸二分(約七六・四センチ)の太刀。かつて疱瘡の神を斬った、という伝説からの命名。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】不動国行

不動国行 1.『享保名物帳』焼失之部所載、来国行作の小太刀、初め足利将軍家蔵でした。天文二十三年(一五五四)、狩野介が相州康春に模造させた刀銘には、「相州住康春作 不動国行之写 天文廿三年二月日 狩野介所持」とあります。狩野氏は伊豆国田方郡狩野郷…

【刀剣紹介】不動宗近

不動宗近 三条宗近作の太刀です。越後国蒲原郡奥山庄(新潟県北蒲原郡中条町・黒川村)の豪族、城太郎貞重(貞成の誤り)は、黒川村館の不動尊に宗近の太刀を奉納しました。その子孫の城太郎資持(小太郎資盛の誤り)は、建治元年(一二七五)四月、中条の鳥坂城によ…

【刀剣紹介】俘囚剣

俘囚剣 俘囚の帯びた剣、またはその様式の剣です。白河法皇が天治元年(一二二四)十月、紀州の高野山へ行幸のさい、左衛門督藤原朝臣がこれを帯びていたので、人々に奇異の感を抱かせたといいます。奥州の安倍氏や平泉の藤原氏時代、領内の鍛治は、いわゆる俘…

【刀剣紹介】豊後来国光

豊後来国光 寛永十八年(一六四一)八月、後の四代将軍家綱の誕生を祝して、勢州桑名城主・松平定綱が献上しました。本阿弥家の金八枚の折紙付きです。のち家綱はこれを陣刀にし、目貫・縁・鍔に葵紋を据えました。寛文三年(一六六三)正月、老中の阿部豊後守忠…

【刀剣紹介】福島兼光

福島兼光 『享保名物帳』追加之部所載、備前長船兼光作の太刀です。福島正則が広島城主だったころ、城下の本国寺(日蓮宗)の住持を処罰しました。その後、本刀が同寺にあることが分かり、正則が没収し、自分の佩刀にしたもの正則は元和元年(一六一五)城地を没…

【刀剣紹介】飛竜丸

飛竜丸 刀の異名です。京都の商人・瀬尾家伝来です。同家はもと土佐の住人で、長曽我部氏より拝領の飛竜丸という、伯耆安綱の太刀が伝来していました。明治初年、当主が道楽者で、飛竜丸も売り飛ばして、酒色に換えることを恐れたその母の未亡人は、時の京都…

【刀剣紹介】太栰正宗

太栰正宗 羽州米沢城主・上杉景勝の嗣子・定勝が、元和九年(一六二二)正月十三日、元服のとき、将軍秀忠より拝領した、相州正宗の太刀です。刃長二尺一寸一分(約六三・九センチ)、景勝三十五腰の一です。最後の藩主・上杉茂憲は明治元年、初め官軍に抗したが…

【刀剣紹介】二見左文字

二見左文字 細川幽斎の佩刀です。大磨り上げ無銘であるが、筑前の左文字の極めで、元禄元年(一六八八)千五百貫の折紙付きです。 刃長二尺三寸六分(約七一・五センチ)。刃文は浅い五の目乱れで、鋩子掃き掛ける。中心は目釘孔三個。 参考文献:日本刀大百科事…

【刀剣紹介】鳳凰丸

鳳凰丸 南朝の忠臣・北畠親房家伝来の太刀です。 刃長二尺八寸(約八四・九センチ)。親房は吉野の賀名生の行在所に、これを携行していた。これを大炊御門冬信の佩刀、とするのは誤り。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】福島光忠

福島光忠 『享保名物帳』所載、備前長船光忠作の太刀です。もと福島正則の佩刀です。正則の四男・正利が寛永元年(一六二四)七月十三日、父の遺物として将軍に献上した「大光忠」とは、本刀のことでしょう。『享保名物帳』編集のころ、常州茨城郡宍戸(茨城県…

【刀剣紹介】兵庫守家

兵庫守家 丸毛光兼の佩刀、備前の畠田守家作の太刀です。光兼は長照・長住ともいい、号は不白です。兵庫頭、のち河内守と称しました。初め斎藤竜興に仕え、のち織田信長、さらに豊臣秀吉に仕え、天正十七年(一五八九)、濃州安八郡福束城主、二万石に封じられ…

【刀剣紹介】人数国次

人数国次 阿波の細川家の重宝です。どこの国次か不明であるが、おそらく来国次の作でしょう。細川頼春が正平七年(一三五二)閏二月、楠正儀らの軍に敗れ、討死した時、たまたま家臣の町田・筒井・湯浅・河端らは、この太刀を携行し、上京中であったが、主君討…

【刀剣紹介】常陸江

常陸江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中の郷義弘作の太刀です。もと木村常陸介重茲所持でした。常陸介は山城淀城主で、関白秀次の家老だった関係で、秀次と同罪として、文禄四年(一五九五)七月十五日、摂津茨木の大門寺で自尽しました。本刀は常陸介が豊臣…

【刀剣紹介】肥後江

肥後江 『享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘作の太刀です。ただし無銘です。本阿弥光塔の取り次ぎで、肥後国熊本城主・加藤清正がが千五百貫で買ったものです。それで熊本江ともいいます。清正の娘(瑤泉院)は慶長八年(一六〇三)、徳川家康の命により、紀…

【刀剣紹介】鎺国行

鎺国行 奥州仙台・伊達家伝来、無銘来国行の異名です。もと共鎺が付いており、それに「国行」と彫ってあったので、鎺国行の異名がつきました。天正十八年(一五九〇)六月九日、小田原城攻めの豊臣秀吉が、目赤鶴を捕えたという、伊達政宗の自慢の鷹を所望した…

【刀剣紹介】鳩丸

鳩丸 1.短刀 粟田口国綱の作です。初め花山院家の家士・岡野内匠介健則が、慶長十八年(一六一三)、徳川家康から拝領しました。元和六年(一六二〇) 六月、将軍秀忠の娘・東福門院が、後水尾天皇に入内したので、その守り刀として健則より献上しました。寛永九…

【刀剣紹介】般若太刀

般若太刀 上杉家伝来、備中の青江守次作の太刀です。長尾家時代からの伝来刀で、大般若経会のさい、撫で物に用いられたことからの称呼です。上杉謙信が陣中で戦勝祈願をする時、これを祭壇に供えていました。江戸期 になると、つねに御看経所に置かれ、毎月…

【刀剣紹介】抜丸

抜丸 平家重宝とされた太刀です。その作者については、伯耆の大原真守説が最も多く、次は伯州武保説や、古備前助包説で、そのほか伯州安綱説、伯州日乗説、奥州文寿説などがあります。このうち、古備前助包説は「抜き打ち丸」との混同でしょう。抽丸とも書き…

【刀剣紹介】祢々切り

祢々切り 日光・二荒山神社の蔵刀の異名です。祢々は日光付近の方言で、河童のことです。昔、この刀が自ら抜け出して、祢々を斬った、という伝説のある大太刀です。 刃長七尺一寸(約二一五・一五センチ)余、鵜の首造り。地鉄は板目肌、刃文は小乱れ、無銘。…