日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

2018-11-16から1日間の記事一覧

【刀剣紹介】鷲切り

鷲切り 備前長船兼光の刀号です。享保(一七一六)のころ、加賀藩の馬廻り頭・丹羽武兵衛孝房が、加州石川郡湯浦(石川県金沢市)の温泉に入湯中、薬師堂の上の山に佩刀をおいて、さらに絶壁をよじ登りました。程経て薬師堂の上に戻ってみると、佩刀がありません…

【刀剣紹介】鷲造りの太刀

鷲造りの太刀 源義経が屋島の合戦のとき、大胡小橋太に与えた太刀です。これについては、金具や鞘の蒔絵に、鷺の図のあるもの、という説と、柄頭の金具が鷲の頭の形になったもの、という説とがあります。前説では、太刀の何々造りというのは、すべて文様から…

【刀剣紹介】鷲の巣

鷲の巣 相州行光作の短刀の異名です。文禄元年(一五九二)四月十一日、肥前名護屋(佐賀県東松浦郡鎮西町)へ下向の途中、芸州広島(広島県広島市)へ立ちよった豊臣秀吉は、これと備前光忠の刀を、毛利秀元に与えました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】鷲の子

鷲の子 奥州南部家の支族・九戸政実の佩刀です。政実が天正十九年(一五九一)、入って宗家を継いだ田子信直に対し、叛旗を翻したとき、鷲の子という三尺五寸(約一〇六センチ)、 黒漆の太刀を佩いていました。 参考文献:日本刀大百科事典

【刀剣紹介】亘理来国光

亘理来国光 もと奥州伊達家の重臣・亘理兵庫頭入道安斎の遺物として、伊達家に献上したものです。伊達政宗が登城のときの差料です。六代目の宗村もこれを愛好しました。 刃長二尺四寸一分五厘(約七三・二センチ)、延宝九年(一六八一)卯月三日付の代千五百貫…