日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【偉人の刀剣】三島由紀夫の刀

三島由紀夫の刀

昭和四十五年十一月二十五日、東京の市谷自衛隊に突入したとき所持し、かつ介錯に使われた日本刀です。

刃長二尺三寸五厘(約六九・八センチ)、軟らかい地鉄で、三本杉に近い五の目乱れの刃文。無銘で、古い小札では、「後代兼元」という鑑定になっていた。

当時の報道によると、神奈川県警本部で押収していたものを、競売に付した時、某刀剣商が五万円で落札しました。それを大盛堂書店主・船坂弘氏が二十万円で買ったといいます。

昭和四十年ごろ、それを刀剣商・佐藤勲氏に託して、日本美術刀剣保存協会の審査に出し、「後代兼元」として、「貴重刀剣」の認定をうけました。船坂氏によると、刀剣界でいう有名な、古刀の関の孫六兼元ではなく、寛永(一六二四)ごろの赤坂住、源一郎兼元くらいの「新刀」だったといいます。すると、愛刀家が愛蔵するに値しない凡刀であるが、三島がそれを古刀の孫六兼元と、同価値のように勘違いしていたようです。その証拠に、それに陸軍の軍刀拵えをつけ、昭和四十五年十一月、東京の東武デパートで開かれた「三島展」に出品していました。それから数日後、三島はそれを佩用して、市谷自衛隊に突入、東部方面総監・益田兼利陸将を監禁、それで負傷させたのち、総監の面前で、海軍将校用の短剣で切腹しました。会員の森田必勝が軍刀介錯したが、二度斬っても首は落ちませんでした。三度目に、会員の古賀浩晴が代わって、ようやく首を斬り落としました。ついで森田が切腹すると、古賀が同じく軍刀介錯しました。

参考文献:日本刀大百科事典