日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【偉人の刀剣】真柄父子の太刀

真柄父子の太刀

北国一の豪傑、朝倉義景の臣・真柄十郎左衛門と、その子・十郎三郎所持の大太刀です。父子とも元亀元年(一五七〇)六月二十八日、姉川の合戦において、徳川方に討たれました。十郎左衛門の太刀は五尺三寸(約一六〇・六センチ)、十郎三郎の太刀は四尺七寸(約一四二・四センチ)ともいいます。文亀(一五〇一)のころ、越前に大力の士がいました。備前長船に行って、祐定に長さ五尺三寸(約一六〇・六センチ)、幅二寸三分(約七・〇センチ)、重ね五分五厘(約一・七センチ)の大太刀を注文しました。祐定は祐清・祐包と協力して打ち上げました。試し斬りしたところ、四つ胴を落としました。それがのち真柄十郎左衛門の佩刀になりました。十郎左衛門討死後、刀身は行方不明になったが、鞘だけは九鬼家に伝来し、寛政(一七八九)ごろは、確かに同家にあった、という話があるが、信じがたいです。なお、十郎左衛門の佩刀と称する大太刀は、熱田神宮にもありました。

なお、加賀の白山比峰神社にも、十郎左衛門佩刀と伝えられる大太刀があります。

刃長六尺一寸五分(約一八六・三五センチ)、総長八尺四寸八分(約二五七センチ)、棒樋をかく。刃文は五の目乱れ。加州の「行光」在銘。前田利常がこれに付けさせた金具には、「寛永五戊辰曆十一月吉日 加州金汉住後藤才次郎吉定」、と銘がある。

十郎三郎所持の槍は、三角穂で長さ一尺二寸(約三六・四センチ)、幅一寸四分五厘(約四・四センチ)、中心に「真柄十郎三郎直基造之 永禄七年八月日」とあり、羽州庄内藩士の家に伝来していた。

参考文献:日本刀大百科事典