日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】若江十河正宗

若江十河正宗

享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗極めの短刀です。河内国若江(大阪府東大阪市)から出たから、あるいは織田信長のとき、若江三人衆とよばれた、池田丹波守・多羅尾常陸介・野間左膳ら三人のうちの誰かの所持だったので、若江正宗とよびます。また三好実休の末子・十河十左衛門一存所持だったので、十河正宗ともいいます。そのほか、西川讃岐守旧蔵との説もあります。 豊臣秀吉の御物になってからも、一之箱に入れてあったから、重宝視されていたことになります。本阿弥光徳もこれの押形をとっています。しかし、本阿弥光塔の『名物刀記』にも、本阿弥光和の『目利伝書』にも、これが記載されていないのは、大坂落城のさい焼け身になって、それを越前康継が焼き直したとしても、やはり焼け身には違いないから、無視したのでしょう。

明暦三年(一六五七)正月の江戸城炎上のさい、焼失した名刀のうちに、道合正宗があります。道合はソゴウとよむから、十河の宛て字のはずです。すると、その後、焼き直されて、尾州徳川家に移ったことになります。同家でも天守閣の保管となっていたから、重視されていなかったことになります。

刃長はもと八寸七分(約二六・四センチ)あったが、現在は焼き直しのため、八寸五分(約二五・八センチ)に短縮され、かつ棟も丸棟だったのが、真の棟に直されている。無反りで平造り。地鉄は板目肌、地沸えつく。刃文は、もと表裏とも中程が直刃で、その上下は 乱れ刃になり、飛び焼きも数個あった。現在は浅い彎れ五の目乱れとなる。鋩子ももとは尖って、返りも深かったが、現在、表は三角形、裏は尖り心で、返りも浅くなっている。中心は無銘。中心先ももとは尖っていたが、現在は丸くなっている。目釘孔だけは元のとおり二個で、下方の孔は瓢箪形になっている。

参考文献:日本刀大百科事典