【刀剣紹介】横山貞宗
横山貞宗
加賀藩の重臣・横山式部長治所持、相州貞宗の刀です。刃長不明です。長治は山城守長和(三万石)の三男、初め神谷守孝(九千石)の養子です。慶長十年(一六〇五)、伯父・横山長秀(九千二百五十石)が死去すると、その跡を継ぎました。慶長十九年(一六一四)、父長知が前藩主・利長の譴責をうけ、禄を辞して京都に去ると、長治もそれに従って、浪人となったが、同年十月、大坂冬の陣が始まると、藩主・利常から父子ともに許され、前職に復しました。
本刀がのち幕府の老臣・本多上野介正純の有に帰しているところをみると、長治が京都浪居中に手放したものか、あるいは上野介が父子の復帰に尽力してくれた謝礼として、長治が贈ったものでしょう。長治の兄・土佐守興知は当時、将軍秀忠の近臣として出陣していたから、興知を通じて、上野介に働きかけたことも十分考えられます。
参考文献:日本刀大百科事典