日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】最上正宗

最上正宗

出羽国山形城主・最上義光が、関ヶ原合戦の初め、上杉景勝の軍を防いだ功を賞し、徳川家康が与えた相州正宗の脇差です。

最上家は、義光の孫・義俊の非行により、元和八年(一六一二)、二十四万石からわずか一万石に減封となりました。そのため正宗も売り物に出さざるを得なくなりました。常陸国笠間城主・水谷勝隆が、金百枚で買い求めました。同家が元禄六年(一六九三)改易となると、正宗も売却され、徳川一門のどこかに入ったらしく、明治になって、清田直が所持のころは、葵紋総金具の拵えがついていました。

刃長一尺一寸七分五厘(約三五・六センチ)、反りのある平造りで、差し表に素剣と梵字、裏に香署と梵字の彫物。刃文は大乱れに、砂流し・金筋まじりの盛んなもの。中心に「正宗」と二字銘があった。しかし、その写真を見ると、偽銘である。

この正宗については異説があって、徳川家康がまだ浜松にいた織田氏時代、最上義光は早くも徳川家康に通じていました。家康はそれを喜び、相州正宗の短刀を贈りました。後年、最上家が改易になり、水谷家で買ったのは、その短刀で、長さは八寸五分(約二五・七センチ)といいます。すると、前記の正宗とは、由来も長さも違うことになります。

参考文献:日本刀大百科事典