【刀剣紹介】村雲久国
村雲久国
『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口久国作の太刀です。もと関白秀次の母の守り刀です。秀次の菩提を弔うため、文禄五年(一五九六)、瑞竜寺を今の京都市上京区竪門前町に建てました。その付近を村雲というので、俗に村雲御所と呼ばれました。出家して日秀尼となった秀次の母は、村雲当麻とともに守り刀としていたこれを、豊臣秀吉に返しました。大坂城陥落により行方不明となります。
刃長二尺五寸五分(約七七・三センチ)、折紙なし、というほか不明。『埋忠銘鑑』に、「藤次郎久国 村雲丸」と在銘の太刀に、「村雲久国」と後人(今村長賀か)の朱書がある。しかし、これは村雲久国とは別物であろう。
参考文献:日本刀大百科事典