日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】三好正宗

三好正宗

享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗在銘の短刀です。越後国刈羽郡三島郷(新潟県柏崎市)の郷士・三島典膳が、わざわざ相州鎌倉に行って造らせたもの、という話があるが、これは後世の創作です。三好長慶が本阿弥光利の取り次ぎで、金十六枚で入手し、養子の義継に譲りました。義継はそれを織田信長に献上しました。細川幽斎がそれを拝領し、子の三斎に与えました。佐々成政がそれを三千貫で譲りうけたい、と申し入れたが、三斎は承知しませんでした。それを関白秀次に献上したところ、秀次はさらに秀吉に差し上げました。

秀吉が慶長三年(一五九八)に死去すると、その遺物として前田利家に贈られました。その後、利家が参内する時は、これを指して秀頼と同車し、また諸大名の年賀をうける時も、これを指し秀頼を抱いていました。利家の死後、嗣子・利長はこれを徳川家康に献上しました。将軍秀忠もこれを秘蔵の第一としていました。これを京都の本阿弥光境に研がせるため、後藤縫殿助に腰物係をつけて、持って行かせました。下研ぎから水仕立てまでを光由、拭いを光差、磨きを光甫、と分担して仕上げました。こうして研ぎ上げた三好正宗も、明暦三年(一六五七)の江戸城炎上で焼失しました。

刃長八寸三分(二五・一センチ)、平造り。刃文は直刃に耳形の乱れまじり、飛び焼きが刃縁に沿ってある。鋩子は尖って、返りは深い。中心はうぶ、「正宗」と二字銘。

参考文献:日本刀大百科事典