日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】骨不知

骨不知

相州貞宗作の脇差の異名です。肥後熊本城主・細川忠利が、寛永十五年(一六三八)正月十二日、島原の乱の援軍として出陣すべし、という命令を将軍家光より受けたとき、家光より拝領したものです。忠利の孫・綱利は慶安四年(一六五一)六月二十七日、襲封のお礼として、父・光尚の遺物である左文字の刀と、この骨不知を将軍家綱に献上しました。骨不知の消息不明なのは、明暦三年(一六五七)の江戸城炎上のさい、焼失したからでしょう。

参考文献:日本刀大百科事典