日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】宝蔵院流薙刀

宝蔵院流薙刀

槍術の宝蔵院流でつかう薙刀です。宝蔵院流槍は、奈良の興福寺の子院・宝蔵院の院主だった覚禅坊法印胤栄が流祖です。胤栄は上泉伊勢守秀綱に剣法を、大膳太夫盛忠に槍術を学び、鎌槍をつかう一派を創始しました。ただし、『太平記』に出ている了願から伝わった術を、胤栄が相続したに過ぎない、とする異説もあります。慶長十二年(一六〇七)正月二日没、八十七歳でした。

宝蔵院流薙刀は、上州の藤枝英一によれば、刃長一尺二寸五分(約三七・九センチ)、鍵元の身幅一寸(約三・〇センチ)ぐらいで、薙刀樋をかく。切先は半円形に強く反り、かつ身幅一寸二分(約三・六センチ)ぐらいに、広くなった形で、中心の長さは一尺三寸(約三九・四センチ)ぐらいという。

宝蔵院に薙刀術があるというのは、穴沢という薙刀の達人、というから、穴沢流薙刀術の流祖・穴沢主殿助盛秀であろうが、それが姓名を秘して、胤栄の下僕となって住み込みました。胤栄がその下僕の尋常なものでないのを見破り、素姓を質したところ、実は胤栄の槍と手合わせしたいため、と告白しました。それに応じて、胤栄が穴沢と手合わせしたといいます。そんな関係で、穴沢流の薙刀術も、宝蔵院で行われていたのでしょう。

参考文献:日本刀大百科事典