日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】常陸江

常陸

享保名物帳』焼失之部所載、越中郷義弘作の太刀です。もと木村常陸介重茲所持でした。常陸介は山城淀城主で、関白秀次の家老だった関係で、秀次と同罪として、文禄四年(一五九五)七月十五日、摂津茨木の大門寺で自尽しました。本刀は常陸介が豊臣秀吉に献上、大坂城の三之箱に納められ、派手な拵え付きでした。埋忠明寿と同寿斎が磨り上げ、二尺三寸四分(約七〇・九センチ)弱にしたものです。

豊臣家から、おそらく徳川家康を通じてであろう、本多上野介正純の有に帰しました。正純は本阿弥家に命じ、差し表に「本多上野介所持」、裏に「義弘本阿花押」、と金象嵌を入れさせるとともに、表裏に樋をかかせました。ただし折紙は出しませんでした。正純が元和八年(一六二二)、出羽へ追放になった時、本刀は召し上げられたのでしょう。将軍家の所蔵となりました。焼失したのは明暦三年(一六五七)、江戸城炎上の時でしょう。

作風は直辺で、鋩子は小丸で、長く返る。中心は大磨り上げ、目釘孔一個、中心は切り。中心先は剣形というほか不明。

参考文献:日本刀大百科事典