日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】鎺国行

鎺国行

奥州仙台・伊達家伝来、無銘来国行の異名です。もと共鎺が付いており、それに「国行」と彫ってあったので、鎺国行の異名がつきました。天正十八年(一五九〇)六月九日、小田原城攻めの豊臣秀吉が、目赤鶴を捕えたという、伊達政宗の自慢の鷹を所望したところ、その鶴を添えて献上したのに対して、この太刀を返礼として政宗に贈りました。

同十一日、秀吉の近臣・富田一白が、政宗に送った手紙によると、鎺を金無垢に作り替えた時、本阿弥家でもとの共鎺が行方不明になったが、捜し出して提出するよう、一札取ってあったといいます。政宗も大いに気に入り、登城のさいの差料にしていました。

刃長二尺三寸八分(約七二・一センチ)というほか、作風は不明。もとの共鎺はついに発見されなかった。新調の鎺は金無垢の二枚鎺で、松皮苔の上鎺に「国行」の二字が透しになっていた。鍔は亀甲透しの鉄鍔、柄は白鮫をきせ、角頭と赤銅花輪違いを金高象嵌にし、上下に金の玉縁をつけた縁金をつけ、金の一定獅子の目貫の上を、黒糸で巻く。小柄と笄は赤銅魚子地に、二定連れの獅子色絵で、小ガタナは平安城金重の作、鞘は黒塗り、下げ緒は紫色だった。刀には貞享元年(一六八四)極月三日付け、金百枚の折紙がついていた 。終戦まで同家に伝来していたが、その後は消息不明。

参考文献:日本刀大百科事典