長岡藤四郎
『享保名物帳』焼失之部所載、粟田口吉光作の短刀です。命名の由来については、長岡(細川)幽斎所持説・長岡(細川)三斎が将軍秀忠より拝領説・長岡斎記所持説などがあります。そのうち、長岡京記とは細川家臣で、慶長(一五九六)ごろ所持といいます。最も古い『享保名物帳』が、この説を採っているから、これを真実と見るべきです。細川三斎が将軍家へ献上したので、明暦三年(一六五七)の江戸城炎上で焼失しました。
刃長八寸二分五厘(約二五・〇センチ)、表裏に刀樋に添え樋があった。
参考文献:日本刀大百科事典