【刀剣紹介】対馬正宗
対馬正宗
『享保名物帳』焼失之部所載、相州正宗作の小脇差です。もと対馬藩主・宗義調の次男、柳川豊前守調信の所持でした。それを研師・木屋の取次ぎで、本多正純が五百貫で入手しました。正純は元和八年(一六二二)改易、流罪となりました。いつの頃からか徳川将軍蔵となっていたが、明暦三年(一六五七)の江戸城炎上のさい、焼失しました。
本多正純所蔵のころ、本阿弥光温がとった押形では、刃長一尺六分(約三三・一センチ)、目釘孔三個となっているが、正純が配所で没した翌年、つまり寛永十五年(一六三八)卯月六日、埋忠家で光温から預かって、採った押形では、刃長一尺一寸(約三三・三センチ)、目釘孔一個となっています。その時はすでに将軍家蔵となっています。享保四年(一七一九)編集の『名物帳』では、刃長一尺五分(約三一・八センチ)となっています。
平造りで、表裏に刀樋があり、刃文は直刃に浅い五の目がまじり、二重刃もある。鋩子は小丸で、程よく返る。代付けは金五百枚。
参考文献:日本刀大百科事典