【刀剣紹介】茶臼割り
茶臼割り
上州吾妻郡三原(群馬県吾妻郡妻恋村)の地頭で、信州真田家の一族だった羽尾家の重代、刃長三尺三寸(約一メートル)、備前長船長光の作です。永禄七年(一五六四)正月七日、国府台(千葉県市川市)の戦に、羽尾幸世兄弟はこれを佩いて出陣しました。戦い敗れて幸世は生害、弟の輝幸がこれを持って退却しました。
天正七年(一五七九)十月、輝幸が城代になっていた沼田(群馬県沼田市)の城を、本家である信州の真田信尹(昌幸の弟)が、急に来襲しました。敵しがたいと見た輝幸は、城を抜け落ちて行きました。追いすがってきた田口又左衛門を、茶日割りで斬り棄てたあと、早業の達人として知られた木内八左衛門が、二尺八寸(約八四・九センチ)の太刀で斬りかかってきたのも、梨割りにして除けました。しかし、脱出しがたいと見て、嫡子の幸貞と刺し違えて死にました。輝幸、時に七十三歳でした。
参考文献:日本刀大百科事典