【刀剣紹介】鷹匠切り
鷹匠切り
来国俊作、三尺一寸(約九三・九三センチ)の太刀です。足利将軍義教が鷹匠を、それで唐竹割りにしたが、体がしばしそのままで、手にした鷹も驚く様子がありませんでした。それで「鷹匠切り」と命名しました。その後、長州の大内持世が拝領し、家宝にしていました。それから四代後の大内義隆は、それを寵臣・杉民部少輔に与えました。大和興武は杉に頼んで譲りうけました。弘治元年(一五五五)、厳島合戦のとき、興武は陶晴賢にくみし、毛利方の香川光景に組み伏せられ、捕虜になりました。それから一両月後、元就は光景に命じて、興武を殺させました。鷹匠切りを奪って、元就に提出したが、元就は光景に、家宝にせよ、といって与えました。
参考文献:日本刀大百科事典