小林国行
小林上野守の佩刀、来国行の作です。明徳二年(一三九一)十二月三十日、京都の内野の合戦で、小林上野守(修理亮重長)は、これで、大内左京大夫義弘の左手を二か所斬ったが、逆に薙刀を内かぶとに突っ込まれ、さらに片股斬り落とされ討死にしました。小林の太刀は二尺八寸(約八四・九センチ)ともいうが、『本阿弥光心押形』では、三尺一寸七分(約九六・一センチ)とある。棟や鎬に切り込み、物打ち辺には刃こぼれが多くある。棒樋を中心までかき流がす。地鉄は細かにつまり、刃文は広直刃彎れ調で、太い足入り。「国行」と二字銘。
参考文献:日本刀大百科事典