日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】河合正宗

河合正宗

土佐藩主・山内家伝の相州正宗の刀です。もと土佐藩士・河村某所蔵だったので、山内家では「河村正宗」と呼んでいたのを、民間に出てから河合正宗と誤伝し、伊賀越えの仇討ちに付会されました。

山内容堂が明治二、三年ごろ、酒宴の席上、この刀はもう余には重くなった。そちに取らせる、と言って、画家・荒木寛畝の兄寛一に与えました。寛一は冗談と思い、翌朝返しに行くと、そちの差した刀が余にさせるか、と笑って受取りませんでした。数年後、寛一が売りに出し、福地桜痴が買い、さらに明治二十二、三年ごろ、明治天皇のもと侍従だった荻昌吉に渡りました。それを肥後勘四郎の子孫・西垣四郎作を通じて、明治二十六、七年、刀商・網屋惣右衛門が買いました。それを千円で執行弘道に売りました。弘道はアメリカで美術商をしていたので、アメリカに持ち帰り、トーマス・イ・ワカマンという実 業家に売りました。その死後、明治三十八年競売に付され、六〇〇ドルでニュー ヨーク郊外の富豪が落札しました。その死後、昭和十三年競売に付され、某業者が落札していたものを、大沼某氏が購入、大平洋戦争勃発直前、日本へ持ち帰りました。

刃長二尺三寸七分(約七一・八センチ)、反り浅く、重ねが二分(約〇・六センチ)もあるので、手触りは重い。地鉄は板目肌、地沸え美しくつく。刃文は沸え出来の小彎れ乱れ、足入り匂いは深い。鋩子は横手上で一つ乱れて中丸、掃きかける。中心は磨上げ無銘。中心先は剣形。拵えは縁頭が横谷宗与の鶴の図、目貫は金の這い竜、小柄は宗乗、笄は乗真と見える剣巻き竜。小尻は金無垢で獅子の図。鍔は勘四郎作の象嵌鍔だったが、西垣四郎作が先祖の作というので、取り外してしまった。鞘は経紐のぐるぐる巻きの上に漆をかけたもの。なお、荒木寛一が綴った由緒書の巻物もついていた。したがって容堂から拝領したのを、町田平吉という刀商、とする説は誤りである。

参考文献:日本刀大百科事典