日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】甕割り一文字

甕割り一文字

伊東一刀斎景久が、御子神典膳(のち小野次郎右衛門忠明)に伝えた備前一文字の太刀です。瓶割りとも書きます。これを割り下坂とするのは誤りです。異名の由来については二説あります。

1.三島神社

典膳はまだ伊豆の三島神社の床下で、浮浪生活をしていた若年時代、三島にやってきた富田一放という達人を、苦もなく打ち破った。 典膳の非凡さを知った神主が、奉納刀の一文字を典膳に与えた。それは奉納後、久しく神殿の棟木にくくりつけてあった。ある日、縄が切れて落下した。ちょうど真下に神酒甕があった。 刀はそれを切り割ったが、刃に少しの損傷もなかった。その夜半、数人の強盗がおし入った。典膳がその刀で斬りまくると、人が酒甕のなかに隠れた。典膳がそれを酒甕もろとも、真二つにした。それに因んで、甕割り一文字と呼ばれるようになった。

2.善鬼説

伊東一刀斎は一文字の刀をもって、生涯に三十三回、真剣勝負をしたが、ことごとく勝った。晩年に なって、これを勝った方にゆずる、と宣言して、高弟の典膳と善鬼に勝負させた。場所は総州相馬郡小金原とも、濃州桔梗ヶ原ともいう。典膳にはあらかじめ「夢想剣」という極意を授けてあったので、むろん典膳が勝ち、これを伝授された。この血戦で疲れた善鬼が、大きな甕の後ろで、息をついているところを、典膳がもろとも真っ二つにしたので、「甕割り」と名づ けられた。 この太刀はその後、典膳から弟・伊藤忠也に、さらに亀井忠雄へ譲られました。以後、同家に伝来していたものを、助九郎業雄が山岡鉄舟に伝えました。鉄舟の死後、未亡人・英子が日光の東照宮に奉納しました。

参考文献:日本刀大百科事典