日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】大相馬兼光

大相馬兼光

享保名物帳』所載の太刀です。長大なため一名「大兼光」ともいいます。元和(一六一五)のころ、相州小田原城主・大久保家の家臣に、相馬長四郎という者がいました。これの先祖・七郎左衛門旧蔵だったので、相馬兼光、特に長大なため、「大兼光」ともよびました。相馬家では本刀を本阿弥光徳に命じて、二尺七寸五分(約八三・三センチ)に磨り上げさせ、「兼光磨上 光徳(花押)」のほか、七郎左衛門の所持銘まで入れさせました。

その後、藩主に召し上げられたとみえ、寛文五年(一六六五)、大久保加賀守より本阿弥光温のもとにきました。それで千貫の折紙をつけて返しました。その後、熊本藩主・細川家の有に帰したので、また極めにきました。それまで千貫、つまり五十枚の極めだったのを、六十枚に引き上げて折紙を出しました。『享保名物帳』には所持者を、「大久保加賀守殿」としています。すると、細川家から再び大久保家に帰ったことになるが、この辺に何か誤認がありそうです。 現在これは所在不明であるため、作風も不明で、ただ刀樋のあったことが分かっているだけです。

参考文献:日本刀大百科事典