日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】宇佐美長光

宇佐美長光

伊達家伝来の太刀です。畠山政長が、河内国金胎寺城にたてこもった畠山義就を攻めていた際、越後国琵琶城主・宇佐美左衛門尉政豊も寄手のうちにありました。寛正三年(一四六二)、落城も間近に迫ったある日、政豊は先頭に進んで、目覚ましい働きをしました。それを賞して、足利将軍義政より備前長光の太刀を与えられました。政豊四代の孫・越中守孝忠が、越後の守護・上杉家の重臣として、武州川越に遠征したとき、敵の物見がただ一騎、槍持一人を連れて進みでました。孝忠が馬でかけより、物見を将軍より拝領の長光で、一打ちで斬りすてました。返す刀で槍持ちを払ったところ、槍の柄で受けました。それを切り折ったうえ、槍持ちの首を、向かい歯まで切りさげました。戦場でこんな切れ味をたびたび見せたのち、孝忠は永正四年(一五〇七)瞑目しました。嫡子・駿河守定行は永正六年(一五〇九)、上杉定実を迎えて屋形とすると、それを祝して長光を贈りました。

定実には嗣子がなかったので、奥州より伊達兵部大夫実元を養子に迎えることになりました。それで婚引き出として、長光の太刀と竹に雀の紋入り幕を与えました。しかし婿入りが実現する前に、定実が死去したので、長光の太刀は「宇佐美長光」の名で、仙台の伊達家にとどまり、政宗やその子忠宗の差料にもなりました。元禄三年(一六九〇) 八月、金二十枚の折紙がつきました。明治維新後に伊達男爵家に移り、昭和十五年重要美術品に認定されました。

刃長二尺四寸五分(約七四・二センチ)、「長光」と二字銘。打ち刀拵え付き。

参考文献:日本刀大百科事典