日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】石田・切込み正宗

石田・切込み正宗

享保名物帳』所載の刀です。もと「毛利若狭守殿所持」とあるが、森若狭守所持の誤りです。若狭守は関白秀次に仕え、馬廻り組頭を勤めていました。主君を失い浪浪の身になってからであろう、本刀を岡山城主・宇喜多秀家に四百貫で売りました。秀家は本刀を石田三成に贈りました。太閤秀吉が他界すると、加藤清正福島正則ら七武将は、朝鮮出陣のさいの武勲を、石田三成が握りつぶして、秀吉の耳に入れなかったことに対する憤を爆発させました。

三成を討ち果たそうとしたので、徳川家康は憂慮し、三成を解職して、佐和山城に帰らせました。その途中を襲われることを心配して、家康は結城秀康中村一氏生駒親正ら三将に命じて、三成を護送せしめました。『名物帳』には生駒の代わりに堀尾帯刀をあげ、かつこれを慶長五年(一六〇〇)三月のこととしているが、ともに誤りです。その前年の三月のことでした。 秀康は勢田(滋賀県大津市)まで来ると、三成がしきりに辞退するので、土屋昌春をつけて佐和山城まで送り届けさせました。三成はその恩を謝するため、この刀を秀康に贈りました。それで石田正宗とも、また棟に切り込みが物打ちと鎺元にあるので、切り込み正宗とも呼ばれました。そして秀康の家、つまり作州津山城主・松平家に、戦後まで伝来していたが、今は同家を出ています。

刃長二尺二寸二分(約六七・三センチ)、地鉄は板目肌立ち、地沸えつく、刃文は五の目乱れ、砂流し・金筋入る。中心は大磨り上げ無銘。現在は重要文化財

参考文献:日本刀大百科事典