日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】新身国行

新身国行

もと尼子家の重代だったものを、天正五年(一五七七)播州上月城が陥り、尼子勝久が自尽するとき、山中鹿之助に与えました。そこに亀井玆矩が豊臣秀吉の密使として潜入してきたので、鹿之助は新身国行を玆矩に贈ろうとしたが、玆矩は辞して受けませんでした。 鹿之助は本刀を帯び、毛利の軍門に降ったが、安芸に連行される途中、備中の阿井の渡し(岡山県高梁市阿部付近)で、毛利の兵に騙し討ちされました。そのとき新身国行は、三上淡路守が奪ったとも、また、鹿之助の郎党・柴橋大力助を渡辺小左衛門が倒し、その佩刀を奪いました。本刀を毛利輝元に差し出したところ、素晴らしい名刀だったの で、本刀が音に聞こえた鹿之助の新身国行に違いない、ということになったともいいます。ただし、それを不動国行とする説は誤りです。

その後、毛利輝元豊臣秀吉に、本刀と清水藤四郎を献上したところ、秀吉は気に入って、本刀を愛用しました。夢で斬る場合、ほかの刀では切れないが、これならば切れるから、という理由でした。本刀の押形は『本阿弥光徳刀絵図』に出ています。

それによれば刃長二尺七寸(約八一・八センチ)、 「国行」と二字銘。もちろん来国行の作で、刃幅が広く、丁子乱れの頭が鎬にかかりそうな所さえある。慶長六年(一六〇一)正月調べの豊臣家蔵刀中にも、新身国行の名は載っている。しかし、大坂落城のさい焼失したとみえその後、みるところがない。

参考文献:日本刀大百科事典