日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】安宅志津

安宅志津

享保名物帳』 の「焼失之部」所載の刀です。『享保名物帳』には、寛永七年(一六三〇)に幕府より来て、二十枚の折紙をつけた、とあるが、それは寛永七年から記載し始めた本阿弥家の留帳「坤」の部にあるのを勘違いしたもので、それを開いてみると、同十六年(一六三九)のところに書き入れられていました。そして本阿弥光益の談によれば、父光徳が金二十枚の極めをしたといいます。 本阿弥三郎兵衛から寛永十六年(一六三九)八月五日、埋忠家に中心の暦り直しを依頼してきたので、その時とった押形が『埋忠銘鑑』に載っています。

中心直しというのは、もと二尺一寸八分(約六六・一センチ)あったのを、二尺一寸一分(約六三・九センチ)に磨り上げたことをいう。刀号については、本阿弥光甫が、これは安宅摂津守冬康の所持だったからだ、と説明したという。これには表の区から三寸(約九・一センチ)ほど上に、切り込みがあった。中心には「兼氏」と二字銘があるが、刀銘になっている上、銘振りも初代ではない。代下がりだったことになる。

参考文献:日本刀大百科事典