日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】別所貞宗

別所貞宗

享保名物帳』所載、相州貞宗極めの脇差です。もと播州三木城主・別所小三郎長治所持でした。長治は豊臣秀吉に攻められ、天正八年(一五八〇)正月十七日落城、自殺しました。のち筑前福岡城主・黒田長政が入手しました。二代将軍秀忠が黒田邸に臨んだとき献上しました。

奥州仙台城主・伊達政宗の嫡子・忠宗のもとに、秀忠の養女・振姫が輿入れしました。その御礼のため、元和三年(一六一七)十二月十八日、政宗が登城すると、秀忠は本刀を政宗に与えました。そのころ本阿弥家で、金百枚の折紙を出しました。以後、同家に伝来しました。明治十七年八月、東京の伊達邸に移されました。現在は所在不明です。

刃長一尺三分(約三一・二センチ)、または一尺二分(約三〇・九センチ)とも。差し表に剣、裏に護摩著、または表に剣樋、裏に笄樋の彫物があった。刃文は切先の辺が広がった。中心は先を直してあった。

拵えの目貫は、赤銅の壺笠目貫で、横引き両の紋の焼き付け。小柄は赤銅で、浪に月の色絵、裏は金哺み、後藤程乗の在銘。小ガタナは相模守政常の在銘。鞘の栗形と折金は赤銅、桔梗紋の色絵。鵐目は四分一だった。

参考文献:日本刀大百科事典