日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】児手柏包永

児手柏包永

享保名物帳』所載、大和手掻包永の太刀です。もと奈良の北部・奈良坂にあったのを細川幽斎が入手しました。刃長二尺七、八寸(約八一・八~八 四・九センチ)の太刀だったので、天正二年(一五七四)三月十三日、二尺二寸八分(約六九・一センチ)に磨り上げさせました。しかし「包永」という原銘は、佩き表の中心先に残りました。佩き裏に「兵部大輔藤孝磨上之 異名号児手柏 天正二年三月十三日」と添え銘を切らせました。

その後、戦場に佩いて出たところ、弾丸が鞘に当たり、幽斎はその場に倒れたが、刀には異状ありませんでした。つまり刀が幽斎の身代わりになったということです。 その後、幽斎は本刀を徳川家康に献上したので、関ヶ原合戦にも本刀を帯 びていった、という説があります。しかし、幽斎が次男・玄蕃頭興元に譲ったのを、徳川家康が五百貫で召し上げた、というのが真相でしょう。興元は兄の忠興と不仲でした。お手許も不如意だったので、家康に売ったものでしょう。家康は本刀を帯びて、関ヶ原の合戦に出陣しました。のち愛妾お勝の方の勧めにより、彼女が養育した水戸頼房に譲ったので、以後、同家の重宝となりました。大正十二年の関東大震災で焼失しました。

刃長は前述のとおりで、佩き表が五の目乱れ、裏が直刃となる。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「児手柏包永」

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