日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】徳善院貞宗

徳善院貞宗

享保名物帳』所載、相州貞宗脇差です。初め織田信長の長男・信忠所持、それを嫡子・三法師に与えました。天正十年(一五八二)本能寺の変のさい、信忠は徳善院こと前田玄以法印に、三法師を託し、安土へ逃れさせました。三法師は豊臣秀吉の一字をもらい、秀信と名乗り、のち岐阜中納言と呼ばれました。この貞宗を秀吉に献じたが、秀吉は縁故のある前田徳善院に本刀を与えました。徳善院はもと山法師で、かつ有職にも通じていたので、秀吉から丹波国亀山城五万石を与えられ、五奉行の一人にもあげられました。慶長七年(一六〇二)五月七日没、六十四歳でした。 遺領をついだ主膳正茂勝は、丹波国八上城に移されたが、慶長十三年(一六〇八)、発狂して家臣を多く殺したので、改易となりました。その前に、この貞宗徳川家康に献上していたので、家康は本刀を紀州頼宣に譲りました。頼宣は寛文十年(一六七〇)、次男・頼純が伊予の西条藩主に封ぜられたとき、本刀を与えました。ただし、『本阿弥光柴押形』や『享保名物帳』には、紀州家蔵となっています。大正十三年、同家の売立で山本悌二郎が入手しました。さらに転じて三井高公男爵家の蔵に帰し、昭和十二年国宝になり、現在も同家蔵です。

刃長一尺一寸七分(約三五・四センチ)、反り一分八厘(約〇・五センチ)、平造り、真の棟。差し表は素剣の上に梵字、下に鍬形、裏は護摩箸の上に梵字、下に鍬形を彫る。地鉄は板目肌立ち、地沸えつく。刃文は彎れがかった浅い五の目乱れ、葉・飛び焼きまじる。鋩子は小丸、掃きかける。中心はうぶ、鑢目勝手下がり、目釘孔三個、中心先は剣形。無銘、ただし朱銘の跡残る。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「徳善院貞宗

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