日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】斎村貞宗

斎村貞宗

享保名物帳』所載、相州貞宗の小脇差です。もと播州竜野城主・赤松下野守政秀所持でした。その子・斎村左兵衛佐政広は関ヶ原の役で初め西軍、のち東軍に寝返り、因州鳥取城攻めに参加しました。そのとき城下を焼き払ったことで、徳川家康から切腹を命じられ、この相州貞宗も没収されました。元和元年(一六一五)十一月、いわゆる駿河御分け物として、 尾州徳川家に分与されました。その時の記録によると、金七十五枚の折紙付きで、拵えは、目貫が金無垢の蜻蛉の図、鎺は二重で、上下とも金無垢、鵐目も金、小柄は赤銅で、駒の図でした。

その後、再び将軍家へ献上したとみえ、さきの二代将軍秀忠が寛永六年(一六二九)三月十七日、寛永寺参詣の帰途、藤堂高虎が建てた寒松院に立ちより、斎村貞宗を高虎に与えました。翌年十月、高虎が病死すると、その遺物として、三代将軍家光に本刀を献上しました。寛永十二年(一六三五)九月、金沢藩主・前田光高の妹が、広島城主・浅野安芸守光景に入輿するとき、将軍家光の養女という名目にしたので、家光は婚引き出として、この貞宗を花婿に与えました。以後、浅野家に伝来し、重要文化財に指定されています。

刃長一尺強(約三〇・四センチ)、反り一分七厘(約〇・五センチ)、平造り、真の棟。差し表に三鈷柄の剣と梵字、裏に素剣と梵字を彫る。地鉄は渦巻き状の板目肌、肌立つ。刃文は浅い彎れ調の直刃に乱れまじる。鋩子は小丸。中心はうぶ、差し表に「貞宗」、裏に本阿弥光徳の花押が朱銘で入る。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「斎村貞宗

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