日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】鍋島江

鍋島江

『享保名物帳』所載、越中郷義弘作の無銘刀です。初め肥前佐賀城主・鍋島直茂が所持していました。同家から埋忠家へきたので、押形を採っておきました。その後、同家から徳川家康に献上しました。おそらく慶長五年(一六〇〇)に、鍋島勝茂が献上した「小胸切り郷」と同一物でしょう。
元和四年(一六一八)十一月、いわゆる駿河御分物として、尾州徳川家へ分与されました。その時の記録によると、横手下、三寸(約九・一センチ)ほどのところに、少し刃こぼれがありました。金七十五枚の折紙付きで、拵えは、縁は赤銅、目貫は金無拓で、二匹連れの獅子の図、鍔は赤銅、はばきは二重で、下は金着せ、上は金無拓、切羽とうずら目は金無拓。笄は裏くるみ、表は三匹連れの獅子の彫物。小柄は赤銅、水に貝の図だった。これを本阿弥光瑳も拝見しています。
寛永十三年(一六三六)九月二十一日、将軍家光が尾州邸に臨んだとき、義直は来国光の短刀とともに、本刀を将軍へ献上しました。慶安四年(一六五一)六月十八日、家光の遺物として、四男徳松つまり後の将軍綱吉へ、本刀が与えられました。尾州家から直接、徳松へ進献とする説は誤りです。享保二年(一七一七)、近江守継平は将軍吉宗の許しをえ、将軍家の蔵刀の押形を採りました。その中に「鍋島郷」として掲載されているものは、目釘孔が二個もあって、まったく別物です。以後、将軍家の宝刀として伝来していましたが、明治二十年八月十日、山岡鉄舟の世話で明治天皇に献上しました。終戦後、国有となりました。
刃長は二尺二寸六分五厘(約六八・六センチ)で、本造り、庵棟。地鉄は、差し表は大板目肌流れ、肌立つが、裏は小杢目肌詰まる。刃文は彎れに五の目乱れまじり、小沸え豊かにつく。『享保名物帳』に、「平・鎬共、少々宛焼る」、とあるとおり、湯走りが数か所ある。差し表の鋩子は直刃で尖り、長く返るが、裏は『享保名物帳』に、「小切鋒、大出来」とあるとおり、乱れ込んで尖り、沸え崩れる。中心は大磨り上げで無銘、目釘孔一つ、先剣形となる。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「鍋島江」

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