日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】小池正宗

小池正宗

享保名物帳』所載の脇差です。播州姫路城主・本多美濃守忠政が、京都小池通りの旅館で購入したため「小池正宗」と呼びます。忠政より三代目の中務大輔政長が逝去したとき、その遺物として延宝七年(一六七九)七月十二日、嗣子の平八郎忠国は本刀を将軍家綱に献上しました。将軍綱吉は天和元年(一六八一)十一月十六日、長男・徳松の髪置きの祝いに、本刀を授けました。徳松が幼死したあと、また将軍綱吉の許に返されました。将軍家斉は尊号事件で光格天皇の怒りをかったので、機嫌取りに天皇へは早川正宗を、後桜町上皇へは本刀を献上することにしました。御腰物方では動機が動機なだけに、御腰物台帳に何のため献上と書くべきか迷いました。それで上司の近藤吉左衛門に伺ったところ、近藤も困ってただ「御進献」とだけ書くよう命じました。進献の両刃は厳重に荷造りしたまま、寛政六年(一七九四)十一月十日、御目付役・成瀬吉右衛門へ渡されました。成瀬は本刀を護衛して、東海道を下っていきました。献上が決まると、幕府では本阿弥光一に命じて、差し表に「正宗」、裏に「本阿(花押)」と朱銘を入れさせました。白鞘にもただ「正宗」とだけ書かせました。しかし三千貫の折紙はつけてやり、現在も御物として伝来しています。

刃長は一尺二分五厘(約三一・〇センチ)で表裏に刀樋をかく。板目肌に沸えの厚くついた地鉄に、浅い彎れ乱れで、二重刃やほつれの多い刃文を焼く。中心は目釘孔二つ、朱銘が表裏にある。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「小池正宗」

f:id:seiya3939:20171101191940j:plain