【刀剣紹介】鍋島藤四郎
鍋島藤四郎
『享保名物帳』所載、粟田口吉光作の短刀です。初め、肥前佐賀城主・鍋島直茂が所持していました。その子・信濃守勝茂のとき、埋忠家で採った粟田口吉光の短刀の押形に「なべしなの殿」と注記したものがあります。ただし、これは鍋島藤四郎ではありません。その後、因州鳥取城主・池田光仲の有に帰し、その嗣子・綱清が隠居御礼として、元禄十三年(一七〇〇)七月朔日、将軍綱吉へ献上しました。綱清の子・吉泰が献上した説は誤りです。
宝永二年(一七〇五)十一月六日、綱吉より家宣へ、享保元年(一七一六)八月二日、家重が元服のとき吉宗より家重へ、寛保元年(一七四一)八月十二日、家治元服のとき家重より家治へ、天明二年(一七八二)四月三日、家斉元服のとき家治より家斉へ、寛政九年(一七九七)三月朔日、家慶元服のとき家斉より家慶へ、文政十一年(一八二八)四月四日、家定元服のとき家慶より家定へ譲られました。折紙は三千貫だったものが、この時は五千貫になっていました。明治維新後も大徳川家に伝来し、昭和三十五年八月、東京国立博物館に一時寄託されていましたが、その後の所在は不明です。
刃長は七尺七寸(約二三・三センチ)で平造り、真の棟。地鉄は小杢目肌詰り、大肌まじる。刃文は直刃、中程より下半分には足繁く入る。鋩子は小丸で掃きかけ、地に食い下がる。中心は磨り上げ、目釘孔二つ。中心先に「吉光」と二字銘がある。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「鍋島藤四郎」