日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】堀尾正宗

 堀尾正宗

『享保名物帳』所載、相州正宗極めの短刀です。もと芸州広島城主・福島正則が所持していました。正則は慶長十六年(一六一一)二月、埋忠寿斎に金具を作らせ、拵えをつけてすぐ、遠州浜松城主・堀尾吉晴に金百三十枚で売りました。吉晴が慶長五年(一六〇〇)七月十九日、三河の池鯉鮒駅において、同国刈屋城主・水野忠重の出迎えを受け、加賀井重望をまじえ、会飲していたとき重望が口論の末、忠重を斬った。それで吉晴はこの脇差をもって重望を刺し殺した、という説があります。しかし、その時はまだ福島正則のもとにあったので、これは誤伝です。
堀尾家では本刀を将軍家へ献上しました。その時期は明らかではありません。本刀を吉晴の嗣子・忠氏の所持とする説がありますが、忠氏は本刀を買う前、つまり慶長九年(一六〇四)に、すでに死亡していました。吉晴は本刀を買った年(一六一一)の六月十七日に死去しています。将軍家に献上する余裕はなかったはずです。すると、吉晴の孫・忠晴より将軍へ献上した、と考えるほかありません。吉晴・忠氏・忠晴の三代にわたり所持とする説と符合します。
将軍家では本刀を水戸の徳川頼房へ贈っています。寛永元年(一六二四)二月六日、前将軍秀忠が水戸邸に臨んだ時、二字国俊の太刀・相州行光の刀とともに本刀を秀忠に献上しました。秀忠は本刀を寛永三年(一六二六)正月十四日、薩摩の島津家久へ与えました。ただし、時期については同年九月という説があります。以後、島津家に伝来しましたが、大戦の戦火により焼失しました。
刃長は九寸三分(約二八・二センチ)で平造り、真の棟。表裏に刀樋をかく。地鉄は板目肌、柾に流れる。刃文はもと直刃、さき小彎れ刃。鋩子は乱れ込んで小丸、わずかに返る。差し表の切先に染みがあった。中心はうぶ。目釘孔二個、無銘、無代だった。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「堀尾正宗」

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