日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】太郎作正宗

太郎作正宗

享保名物帳』所載、相州正宗の太刀です。 もと徳川家康の外伯父で、三州刈屋城 主・水野信元が所持していました。信元は織田信長に属していましたが、武田勝頼に内応の疑いをかけられ、家康のもとに逃げてきました。しかし、信長の怒りは解けず、家 康は天正三年(一五七五)十二月二十七日に、家臣をやって信元を殺させました。信元は生前本刀を水野太郎作正重に贈っていました。

正重は元亀元年(一五七〇)六月、姉川の戦のさい、本刀で敵の兜の鉢から向こう歯まで切り割り、軍功十人のうちに数えられました。しかし、終身知行千石だけで、元和三年(一六一七)に七十三歳で没しました。その跡を嫡孫承祖で、 わずか十一歳の清定が継ぎました。清定は二十歳で早世したにもかかわらず、二千石に加増されています。それは恐らく太郎作正宗を、二代将軍秀忠に献上した代償としてでしょう。

寬永十年(一六三三)十二月五日、三代将軍家光の養女・大姫が、加州金沢城主・前田利常の嗣子・光高に入興したさい、婿引出として信濃藤四郎とともに、本刀を与えられました。前田家では寛文八年(一六六八)に二百枚、元祿七年(一六九四)に三百五十枚の折紙 を、本阿弥家から得ています。文化九年(一八一二)三月、本阿弥長根が江戸の藩邸でお手入れをしました。

刃長は二尺一寸二分五厘(約六四・四センチ)弱、表裏に樋をかき流す。真の棟。刃区より七寸(約二一・二センチ) ほど上にしなえ、差し裏の横手より二寸六分(約七・九センチ)ほど下、棟に切り込み、それより一寸(約三・〇セン チ)余下の樋のなかにふくれ、物打ちに刃こぼれがある。地鉄は板目肌流れ、地沸えつく。刃文は五の目風の小乱れに足入り、砂流しかかる。大切先に鋩先彎れ込み尖って、わずかに返る。中心は大磨り上げ、目釘孔一個、 無銘。

現在は国宝に指定されています。

参考文献:日本刀大百科事典

写真:刀剣名物帳「太郎作正宗」

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