日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】庖丁正宗

 庖丁正宗

一.武州忍城主・松平家に伝来し、もと安国寺恵瓊が所持していました。恵瓊は関ヶ原で敗北後、京都の鞍馬山月昭寺や建仁寺に潜んだあと、西本願寺の家老・下間刑部卿の婿、端ノ坊明王の所に隠れていました。そのことを閑鎮という僧が徳川家康の命で京都の警備にあたっていた奥平信昌に知らせました。信昌が捕手をさし向けると、それを知った家臣が恵瓊を病人の風をよそい、肩輿にのせ東寺のほうへ逃げました。捕手はそれに追いつき、島居信商が恵瓊を生け捕りにしようとしました。恵瓊は本刀を抜いて信商を突こうとしましたが、信商は奪い取って恵瓊を生け捕りにしました。そして信昌は大津のいる家康のもとに恵瓊を差し出したところ、本刀は信昌に褒美として与えました。
奥平信昌の妻は、徳川家康の娘・亀姫でしたので、その四男・忠明を養子にし、松平の姓を与え、元和元年(一六一五)六月、大阪城主、十万石の大名に取り立てました。その忠明家に本刀がいつ移ったか、明らかではありませんが『享保名物帳』に「松平下総守殿」とあるのは、忠明の曽孫・忠雅のことで、当時は勢州桑名城主でした。文政六年(一八二三)に武州忍城主に転封になったあとも、本刀は同家に伝来しました。
明治になって同家を出て、伊東巳代治伯爵の有に帰し、重要美術品の指定をうけていました。昭和十一年、同家の売立で一万四千七百円で落札され、細川護立侯爵の所有となり、翌年、国宝に昇格しました。
刃長は七寸三分(約二二・一センチ)で、はばき元の幅一寸一分(約三・三センチ)の平造り。差し表に片爪形つきの剣、裏に梵字を彫る。地鉄は板目肌よく詰まり、地沸え厚くつく。刃文はもと耳形乱れ、さき彎れとなり、鋩子は乱れ込んで、小丸に返る。中心はうぶ、ひょうたん形の目釘孔一個、無銘。

二.尾州徳川家伝来、もと徳川家康が所有していました。その死後、形見分けとして尾州徳川家に贈った、いわゆる駿河御分物の一つです。そのまま名古屋城天守閣に保管されていたのを、承応(一六五二)になって取り出し、本阿弥光温に見せたところ、同三年(一六五四)八月、金三十枚の折紙をつけました。その後、同家に伝来し、昭和十六年、重要美術品に指定、終戦後、重要文化財に昇格しました。
刃長は八寸(約二四・二センチ)だが、現在はこれより短い。はばき元の幅は一寸二分(約三・六センチ)の平造り。表裏に爪形つきの素剣があり、素剣は透かし彫りになる。地鉄は板目肌詰まり、地沸え厚くつく。刃文はもと彎れ気味の直刃、さき大形の五の目乱れまじる。鋩子は大丸で、さき尖る。中心はうぶ。目釘孔一個、無銘。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「一.庖丁正宗(上)」「二.庖丁正宗(下)」

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