日本刀の世界 ~日本の様式美~

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【刀剣紹介】伏見正宗

 伏見正宗

『享保名物帳』所載、相州正宗作の短刀です。徳川家康が京都の伏見で召し上げたため伏見正宗とも、そのとき飛騨国高山城主・金森長近が取り次いだため金森正宗とも、また拵えの目貫が駒だったため駒目貫正宗とも呼ばれました。
初め二百五十枚の折紙がついていて、阿波国徳島城主・蜂須賀阿波守に与えました。おそらく慶長五年(一六〇〇)正月、家康の養女・氏姫が蜂須賀至鎮のもとに入輿したとき、至鎮が婿引き出物として拝領したものでしょう。再び将軍家に戻ったのは、至鎮の曽孫・綱通の遺物として、延宝六年(一六七八)十月、相州正宗の脇差を献上しているから、それが伏見正宗だったのでしょう。相州貞宗の脇差を献上、とする異説は誤記でしょう。
元禄三年(一六九〇)に、折紙三百枚に昇格しました。宝永五年(一七〇八)十一月、将軍綱吉の養女・松姫が加州金沢の世子・吉徳のもとに入輿したとき、綱吉は婿引き出として、吉徳に来国光の刀と伏見正宗の脇差を与えました。『享保名物帳』には、この吉徳の名前で記載されています。文化九年(一八一二)三月、本阿弥長根が本刀のお手入れをしています。戦後、同家を出て、現在、重要文化財に指定されています。
刃長は八寸五分(約二五・八センチ)で平造り、真の棟。無反り。地鉄は大板目肌立ち、地沸えつく。刃文は大五の目乱れ。棟焼きが多い。鋩子は乱れ込み、沸えで崩れる。中心はうぶ、目釘孔二個、中心尻は剣形。『享保名物帳』に「両方本根薄し」とあるとおり、はばきもとの刃文を消してある。それは本刀が焼き直しであって、はばきもとに水影があり、それを消したためであろう。本阿弥長根も本刀を拝見して、焼き直しと思ったらしく、刃文は「助広ほど若く見える」と書き留めている。

参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「伏見正宗」

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