日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】大西左

大西左

享保名物帳』所載の刀です。初め浅野但馬守長晟の家来・大西半太夫が所持していました。大磨り上げ無銘でしたので、本阿弥光徳が大左文字と極め、千貫の折紙をつけました。それを前田利家または利常が買い上げた、といいます。そして、それを本田上野介正純に贈った説と、土井大炊頭利勝へ贈ったとの両説あります。しかし、土井家の小姓をしていた大野智碩が、大西左文字は土井家から将軍家へ献上した、と証言しているため、後説が正しいことになります。献上したのは寛永六年(一六二九)八月二十八日に、将軍秀忠が土井邸に臨んだ時、左文字を献上しています。それが「大西左文字」でしょう。将軍家から拝領したのを、筑後久留米城主「有馬玄蕃頭」とするのは誤りで、有馬中務大輔忠頼が慶安三年(一六五〇)七月二十二日に、日光山の石垣修築の功により拝領したものです。寛文八年(一六六八)八月、本阿弥家に折紙を求めると、百三十枚の代付けになって帰ってきました。

爾来、同家に伝来していましたが、明治十四年ころ、刀剣商の小倉惣右衛門に払い下げた三十余振りの中に、本刀が紛れ込んでいました。あとで気づいて返還させましたが、当時の売価は七十五円でした。大正十四年、同家の売り立てのさい、大阪の河瀬虎三郎氏が二千六百五十円で落札しました。さらに昭和十年、河瀬家の売り立てでは落札値が五千六百円に跳ね上がっていました。しかし、戦後は行方不明になっています。

刃長は二尺三寸(約六九・七センチ)弱、地鉄は杢目肌荒く、地沸えつく。刃文は彎れ調の五の目乱れ、元は締まり、さき大きく乱れる。砂流しや飛び焼きもまじる。鋩子は尖り心の小丸。中心は大磨りあげ無銘。

参考文献:日本刀大百科事典