日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】生駒左文字

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

生駒左文字

『享保名物帳』所載の刀です。もと讃州高松城主・生駒讃岐一正が所持していました。その後、徳川家康に献上され尾張の徳川家にありました。尾張家から松平弾正に輿入れのときに贈った、と『名物帳』にあります。松平弾正少弼または大弼というのは芸州広島城主・浅野綱晟のことですが綱晟夫人は九条左大臣道房の女です。尾張家の娘をもらったのはその子・安芸守綱長です。つぎに、松平安芸守から小笠原遠江守へ輿入れのさい、本刀を贈った、とあります。松平安芸守とは浅野綱長のことで、その娘が豊前小倉城主・小笠原遠江守忠基に嫁入りしています。そのとき、本刀を送ったところ「不吉第一不出来成る道具にて、御気に入らず、道具変え成られ」たといいます。
浅野家では元禄十年(一七〇三)に本阿弥家にやって、千貫の折紙まで付けたのに小笠原家はなぜ拒否したのでしょう。おそらく生駒家は一正の孫・壱岐守高俊が寛永十七年(一六四〇)に、いわゆる生駒騒動を起こし、配流の身となっているため、そんな縁起の悪い家の名の付いた刀は家に置くこと罷り成らぬ、ということで他の刀と交換したのでしょう。その後、行方不明となりました。
刃長は二尺三寸九分(約七二・四センチ)または二尺三寸九分五厘(約七二・六センチ)で、表裏に刀樋をかき、真の棟、磨り上げ無銘だった。

参考文献:日本刀大百科事典