日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】毛利正宗

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

毛利正宗

『享保名物帳』所載、相州正宗作の脇差です。豊臣秀吉の遺物として、慶長三年(一五九八)十二月、伊那侍従が拝領しました。この伊那侍従を、信州伊那郡飯田城主毛利河内守、とする説は誤りです。毛利河内守秀頼は、すでに文禄二年(一五九三)閏九月十七日に死去し、嗣子がなかったため、女婿の京極高知が遺領を継承しました。それで豊臣秀吉の遺物として正宗を拝領したのは毛利秀頼ではないため、これを毛利正宗と呼ぶのは誤りです。
京極家から播州姫路の池田家に入ったとみえ、元和二年(一六一六)十二月二十六日、将軍家に献上しました。その前日、本阿弥光室は金三十枚の折紙を出しました。その後、大久保家が拝領していたとみえ、正徳五年(一七一五)、売りに出しました。それを本阿弥光通が千貫で買いました。
当時、刃長は二尺一寸八分(約六六・一センチ)あったが、大きな疵があり、かつ平肉がたっぷりつき、不格好だったので一尺六寸三分(約四九・四センチ)に磨りあげ、平肉も落とし、正宗の象嵌銘を入れ、折紙も金百三十枚に上げた。
すると、駿州田中の前城主・土岐頼殷が買い上げました。以後、同家に伝来しましたが、現在は所在不明です。

参考文献:日本刀大百科事典