日本刀の世界 ~日本の様式美~

日本の伝統文化である日本刀の刀工・刀鍛冶、名刀、刀剣書籍など

【刀剣紹介】和歌山鷺森正宗

日本の美、日本刀

まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。

和歌山鷺森正宗

『享保名物帳』所載、朱銘相州正宗作の短刀です。もと鷺森甚右衛門が所持していました。和歌山市西本願寺別院を一名、鷺ノ森別院と呼ぶように、その付近を昔から鷺ノ森とよんでいます。鷺森甚右衛門はここの名家だったため、正宗の名刀を持っていました。慶長五年(一六〇〇)に和歌山城主となった浅野幸長が、同十八年(一六一三)死去すると、弟の但馬守長晟が跡を継ぎました。
その長晟は、甚右衛門正宗を秘蔵していることを知り、召し上げたのでしょう。長晟が寛永九年(一六三二)死去すると、嗣子・光晟は父の遺物として本刀を将軍家光に献上しました。その前、浅野家から本阿弥家に鑑定にきたので、岡本正宗や夫馬正宗と比較し、同格の金三百枚の折紙をつけました。
家光は翌十年(一六三三)十二月、養女の阿智姫を、金沢の前田家の世子・光高に嫁がせたとき、これを光高の父・利常に与えました。同十二年(一六三五)に、前田利常の娘が家光の猶子として浅野光晟に嫁ぐとき、利常は本刀を婿引き出物として光晟に贈りました。その後『享保名物帳』のできるころまで浅野家にあったことは確かですが、その後の消息は不明です。
刃長は九寸四分(約二八・五センチ)または九寸三分(約二八・二センチ)で、表裏に刀樋と添え樋をかく。正宗と朱銘があった。

参考文献:日本刀大百科事典