【刀剣紹介】大三原
日本の美、日本刀
まだ腰に刀を差していた時代、日本刀は自分の身を守るためだけではなく拵えの装いや粋な刀装具を周囲に見せ、その刀を差す武士の品格を表していました。また、現代のように自身を彩るものは多くなく、腰に差す刀剣でその人のお洒落さをも表していたといいます。そんな千差万別ある日本刀を紹介していきます。
大三原
『享保名物帳』所載の太刀です。もと豊臣秀吉の蔵刀で長大なため「大三原」と呼ばれていました。秀吉の形見分けのとき、浅野幸長が拝領しました。それに「大三原 二ッ筒 浅野紀伊守所持 本阿弥光徳(花押)」と金象嵌を入れたのは、幸長が紀伊守と改めたのが慶長六年(一六〇一)であるため、それ以降でないといけません。当時、幸長は和歌山県城主だったため、埋忠寿斎を和歌山によんで金象嵌を入れさせました。「二ッ筒」とは二つ胴落としの意味です。
本刀の代付けについては通常二十枚とされていますが、無代または二十五枚とする異説があります。本刀は現在でも浅野家に伝来し、重要文化財に指定されています。
刃長は二尺六寸六分五厘(約八〇・八センチ)とあるが、二尺六寸三分(約七九・七センチ)とする異説がある。本造り、丸棟。地鉄は大板目肌流れ、刃文は広直刃に小乱れ・小足入る。鋩子は小丸、反りがとくに長い。中心は目釘孔二個。無銘だが古三原正広と見える。
参考文献:日本刀大百科事典
写真:刀剣名物帳「大三原」